「演歌巡礼」 の 船村徹氏

●妻と夕食をしながらテレビを付けたら、NHKのハイビジョンで、作曲家の船村徹氏が出ていた。話に引き込まれ、妻と2人で、ついつい、終りまで見た。東京音大の頃から、作詞家の高野公男氏とコンビで「別れの一本杉」や「王将」などをヒットさせたが、高野氏は26歳で結核のため急逝する。インタビューの時、船村氏は涙を拭っていた。昭和7年(1932)生まれだという。

●私は、出版社の辞典部にいたが、辞典が完成後の合間に、人文関係の企画を立てていた時があった。末期ガンのシルクスクリーン作家の主治医・松岡先生や、「演歌巡礼」を続ける作曲家・船村徹氏に惹かれた。ホスピスという施設が出始めた頃で、日経新聞の記事にも注目した。昭和55年頃だと思う。結果的には、浦井先生の『もう1つの徳川物語』を途中まで進めて、昭和女子大に移った。しかし、今、思い返しても、船村徹氏への思いは、良かったと、自分でも納得できる。

●船村氏は、写真を撮るのが好きで、カメラはニコンだという。Fフォトミックから、D1X、D100など、130台と膨大なレンズ群を持つと言う。カメラ専用の家を建てたらしい。私など、とても、足元にも及ばないけれど、ニコンの愛用者だし、中学生頃から、現像・焼付を自分でやっていたというので、その点は同じで、親しみがわく。偶然、良いテレビを見た。

■■ 船村徹氏 NHKテレビ から