『机上辞典』 物語

●昭和55年、『机上辞典』の全面改訂版を発売する時、営業販売部から、高野辰之はホントウに文学博士ですか? と問合せがあった。そこで、私は高野博士の略歴を辞典のオビに入れて、ついでに、社のPR誌に「『机上辞典』物語」を執筆掲載した。「『広辞苑』物語」に倣ってのタイトルである。

●この時、社は全5段の広告を主要各紙に出して宣伝した。私は、宣伝部に依頼して、小さなコーナーを設けて、昭和20年以前の『机上辞典』をお持ちの方は、お送り下さい。全面改訂版とお取替え致します。と伝えた。日本全国から集まった。中には、辞典に感謝して、線香を同封したものもあった。これらの、読者に使用された貴重な旧版は、資料室に大切に保管した。

●どこかの大学の教授が、新聞に国語辞典の展望を掲載した時、『机上辞典』を暗に、エタイの知れないゾッキ本として、一蹴していたが、私に言わせれば、認識不足に思われた。和英併用実用辞典の草分けは、この『机上辞典』であろうが、その後、各出版社から類書が、続々と出版され、多くの読者に利用・愛用されてきている。岩波の『広辞苑』にも匹敵するほどの部数を出し、活用されているのである。1056頁・980円という価格設定は、年間数10万部発行でなければ不可能である。私は、長澤規矩也先生の推薦で誠文堂新光社の辞典部に席を置き、『筆順部首 机上漢和辞典』を完成させ、『和英併用 机上辞典』を全面的に改訂したが、この事を、今も誇りに思っている。

■■映画『沖縄の少年』の撮影の時、田中邦衛から貰ったサイン。
この映画は、藤沢製本で撮影された。この時、藤沢製本から車で迎えに来てくれて、敬愛する田中邦衛と写真も撮り、サインを頂いた。