性書ヲ愛スル人ニ過ギ・・・

●私は今、鹿島則文のコレクション「桜山文庫」の目録原稿を執筆している。執筆と言っても、自分で考えて原稿を書くのではない。則文のお孫さんの則幸氏が文庫の書庫にこもって、一冊一冊、和本を手に取り、毛筆で書き留めた目録を忠実に活字に移す作業である。言ってみれば、バカでもチョンでもできる作業であるかも知れない。それは、それとして、この文庫を遺した則文について、子の鹿島敏夫氏は父の年譜『先考略年譜稿』を書き残してくれた。その末尾に、次のような一文を付している。

「性書ヲ愛スル人ニ過ギ、公暇手書を舎カズ。用ヲ節シ費ヲ省キ、書ヲ求メテ息マズ、飢ル者ノ食ヲ求ムルガ如シ。経史・小説・高尚卑近ヲ問ハズ。晩年家ニ蓄財ナキモ珍籍奇冊三万冊。人之ヲ云ヘバ、曰ク、妓ヲ聘酒ヲ飲ムハ世ノ通例ナリ。予飲ヲ解セズ、書ハ予ガ妓ナリ、予ガ酒ナリト。」

●実に、見事な人生だと敬服している。鹿島則文は、幕末維新を生きた偉大な神道家であり、伊勢神宮の大宮司をつとめた人物である。しかし、自分自身のことは余り書き残していない。全てにわたって節約をムネとして、財産は遺さなかったけれど、桜山文庫を遺した、というのである。その、文庫を私達は、感謝して研究に使わせてもらっている。

●こころで、以前、一般向けの新書を出した時、この則文の「性書ヲ愛スル人ニ過ギ」を引用したが、現在は、ネット社会とて、多くの読者が、気軽に書評や感想をウェブ上に書き込む。それは、数え切れないほどの量である。その大量の批評・感想の中で、気になるものがあった。「性書」を「性(セックス)に関係する書」と解しておられる風が伺えたことである。この、原本には句読点は無い。以後、「性、書ヲ愛スル人ニ過ギ」とすることにした。

■■鹿島則文 これは、幕末の頃の写真、若い頃の則文の気概が伝わってくる。

■■鹿島則文 神宮皇學館 館長時代