井関隆子関係系譜の増補

●書家の承春先先生のことで、もうひとつ、忘れられないことがある。『井関隆子日記』の著者の実家・庄田家には系譜が、正本と副本の2点が伝えられている。正本は巻子本で、極めて貴重な存在であるが、これは、7代・安明までの記載である。これに対して、副本は冊子本であるが、10代・満洲五郎まで記載されていて、これはこれで存在価値がある。

●11代・安豊氏は、大妻女子大学の教授として活躍されていたが、平成15年2月7日、58歳の若さで他界されてしまわれた。安豊氏の実母の澄江氏は、この副本に、11代の安豊氏まで記録して、系譜を締め括りたい、という希望を出された。井関隆子を研究している私としては、断る訳にもゆかない。そこで、原稿を書いてもらって、増補することにした。

●その日届けられた『庄田家系譜 副本』の末尾には、次の如く記されていた。

「追記 平成十六年四月三十日/庄田安豊母 井下澄江 稿/昭和女子大学講師 承春先 書」

つまり、この増補の追記は、昭和女子大の講師の承春先先生に依頼して書いて頂いた。

●私は、この重大な仕事を進めるに当たって、熟慮した。承先生の、展覧会での作品や、学生指導の様子、年賀状の文字、研究発表の内容、そして、何よりも、その人柄に惹かれて、先生に白羽の矢を立てた。先生の側からすれば、文字通り白羽の矢を立てられた訳で、御迷惑であったかも知れない。しかし、先生は快く引き受けて下さった。

●4月17日、貴重な原本と原稿を先生にお渡しした。あれから2週間、もう、そろそろか、私は、前夜、お電話をしようかと思った。しかし、芸術家をせきたてるのは失礼か、と一旦とった受話器をおいた。次の日、2講時終了後、承先生が研究室に見えられ、補写完了の系譜を持参して下さった。

●先生は、今回の書写に先立ち、母国・中国の父君に電話して、書体やその他の事に関して、御指導を受けたという。父君は、書体はいずれでも問題はない。大切な事は、一字一字、真心を込めて書くことである。と教えて下さったという。

●私は、増補完了の『系譜』を手にして、承先生の墨書を読みながら、落涙に及ぶ寸前であった。原稿を書いて下さった井下澄江氏も、黄泉の安豊先生も、きっと喜んで下さるだろう。だから、人間の社会は楽しいのである。承先生とお父さんに感謝した。

●今、そんなことを思い出して、改めて感謝の念がわく。