中秋の名月
●夕方、散歩していたら、あっちでも、こっちでも、ススキを入れたお月見の花束を持つ方々が目についた。小手指の駅前の花屋さんにもお月見の花束セットを売っていた。今日は十五夜であった。帰宅してベランダから欅の葉越しに眺めたら、雲間にまん丸の月がのぞいて見えた。
●井関隆子の江戸時代は陰暦ゆえ、十五夜は8月15日、天保11年の8月15日は、彼女の日記によれば、朝のうちは雲っていたが昼ころから晴れて、井関家でも丸い餅を15個作って、ススキを瓶に挿し、神酒も机に供えて、月の出る方へお供えした。この大江戸も昔は、草から出て草に入った月も、現在は目覚しい発展を遂げて、見渡す限り人の住処となって、月も建物から出て建物に入るように、人家が山の端になった。と記している。
●井関家も家中で月見をした。当主の親経の部屋に皆が集まって、女の子に琴を弾かせて月を楽しんだ。老人の隆子は大好きなお酒を、少々飲みすぎて、月も泣いているだろうと戯れて、
としのはにかくしあそばな中の秋の望月の夜のあらむかぎりは
と一首詠じて興じる。