久々の 鹿島則文

●菊池氏の御配慮で、久し振りに鹿島則文の筆にめぐりあった。鹿島神宮・大宮司家の第67代目の当主。鹿島神宮宮司伊勢神宮宮司。幕末維新の激動の62年間を生き抜いた大人物。
■■この鹿島則文の写真は、神宮皇學館大學の館長時代のもの。鹿島則幸氏から拝借した。

 のとけさはなひくすかたにしられけり
      やなきにこもる春のゆふかせ  則文

■■短冊 伊勢神宮宮司の頃 多忙の合間にふと目にとまった春の景か

●昭和61年(1986)11月8日、則文のお孫さん、則幸氏が昭和女子大学を訪れた。則文の蔵書「桜山文庫」が昭和女子大学図書館に移管されたが、その作業が完了したのを確認するためであった。貴重書の書庫に整然と収納されている蔵書を御覧になり、安堵したと申され、大変喜ばれたが、小さい声で、少し寂しい、とも付け加えられた。
●その時、これは祖父の短冊で、ずっと、私の居間に掛けていたものです。今後は、先生の研究室に掛けて下さい。とこの短冊を御恵与下された。現在は、私の書斎に掛けさせてもらっている。 

 蚊やり火のけふりにとさす柴の戸を
      つきにたたくは水鶏なるらむ  則文

■■短冊 鹿島神宮に隣接する大宮司家の敷地は5300坪という広大なものであった。その中に建てられた書斎での詠であろうか。