明屋敷伊賀 と 鈴木重嶺・勝海舟

●長谷川卓の最新作『明屋敷番始末 北町奉行捕物控』を手にして、鈴木重嶺を思い出した。鈴木重嶺は、幕末最後の佐渡奉行である。佐渡の金井町図書館所蔵の『鈴木重嶺翁小伝』に次のようにある。

「全体私の家は、あき屋敷伊賀と申しまして、同じ伊賀の中でも、少々変って居ますので、明屋敷伊賀と申しますと些少ながら、六ケ村の知行を戴て之を同僚で配分するのでございます。凡そ人数は百人余もありましたらうか。ハッキリとは覚えて居りませんが、此内から出世致して、諸太夫以上になりましたのは、唯三人ほかござりません。一人は勝安房守で、一人は都筑駿河守、一人は私でございます。」

鈴木重嶺の経歴
天保4年(1833)20歳 広敷伊賀者
天保12年(1841)28歳 広敷取締掛、徒目付
◎弘化1年(1844)31歳 勘定吟味役
安政2年(1855)42歳 勘定組頭
◎元治1年(1864)51歳 勘定奉行、鑓奉行
◎慶応1年(1865)52歳 佐渡奉行
◎明治1年(1868)55歳 田安家家老
◎明治4年(1871)58歳 相川県参事
◎明治6年(1873)60歳 相川県権知事
◎明治9年(1876)63歳 廃県により、職を辞し、東京に帰る
               以後、歌の道に励む
◎明治31年(1898)85歳 没

●晩年、重嶺は、零落する。しかし、勝海舟は親しく交流し、援助しているが、それは、同じ明屋敷伊賀の出自と関連しているように思われる。

■過日入手した翠園の短冊
 菊盛久 おほかたのさかりはやかてうつろふを 世にきくはかり久きはなし 
                            八十翁  重嶺

■■重嶺に捧げる 庭の萩