『重友毅著作集』 の頃

●話のついでに、『重友毅著作集』の事に関しての思い出を書き留めておきたいと思う。全5巻の第1回配本は『芭蕉の研究』で発行は、昭和45年(1970)9月である。奥付の「著者略歴」には、

 重友 毅(しげとも・き)
 一八九九年 山口県に生る
 一九二四年 東大文学部卒業
 一九五二年 文学博士
  旅順工科大学武蔵大学、法政大学各教授を経て、広島女学院大学教授現在

とある。その後に、主要著書5点を掲げている。この「著者略歴・主要著書」は、以後の巻には掲げられていない。

●全5冊のオビには、
「近世文学研究界の権威として つとに令名高く、とくに領域の広さ、探求の深さにおいて定評ある著者が、新たに想をかまえ、旧稿の補訂はもとより、多数の新稿をも加えて編んだ記念碑的著作集である。」
とあり、他に、各巻にあわせたコピーが出ている。

●たぶん、昭和43年頃だと思うが、研究会の後、重友先生から相談された。ある出版社から私の著書を出したいという話があるが、どうかね、というもの。この時、先生は68歳、出版社は単行本をという希望らしいが、この際、研究の総括という方向がよいのではないか、という事になった。常任委員の中には、著作集をどの出版社から出すか検討すべきである、という御意見も出されたようであるが、私は、市川先生を通して打診してきた文理書院が適当だと思うと申し上げた。文理書院は、この著作集刊行の途中で、「文理」と社名変更したが、著作集は文理書院だったと記憶している。

●重友先生の著作は、単行本が30冊ほどあり、雑誌論文等が160点ほどあるが、これらの中から、主題別に5冊に収録したのが、この著作集である。この話があった頃、ようやく複写機も普及し始めていて、私が調べて適当な複写機を購入し、全原稿を複写して、原物は出版社へ渡し、複写は私が保管した。著作集完結後に伺ったら、君が自由にして下さい、というので、私が頂いた。現在も、屋根裏の物置にあると思う。

●私は昭和45年に結婚したので、こちらも、ゴタゴタしていて、全力投球とまではゆかなかったが、出来得るかぎりのことはしたと思っている。私は、内心では、市川先生と文理書院に心から感謝している。

■■『西鶴の研究』のオビ