熊田淳美著『三大編纂物・・・の出版文化史』

●熊田淳美氏の『三大編纂物―群書類従・古事類苑・国書総目録―の出版文化史』が出版された(2009年3月20日、勉誠出版、3200円+税)。労作である。図書館へ行き、参考図書のコーナーで大きなスペースを占め、堂々と自己主張している編纂物、それが、この3つの編纂物である。

●熊田氏は、この三大編纂物に関して、徹底的な調査をして考察しておられる。一読、教えられる事が多い。著者はこの3点の編纂物の共通する点を次のように指摘しておられる。
1、長い年数と莫大な経費をかけた大出版物。
2、明治期以前の国書を対象とした編纂物。
3、時代を超えた客観的なデータベースとしての利用価値を維持している。
4、それぞれの時代の、政府の政策、財政と浅からぬ関係がある。
このような指摘は、提出されてみれば、そうか、と思うが、簡単に導き出されるものではない。長い時間、その資料に接し、考察の眼差しを維持していて初めて到達できる事だと思う。その意味でも、著者の研究に敬意を捧げ、学恩に感謝したい。

●3点の編纂物、いずれも、興味津々のものであるが、『古事類苑』は、私の研究している鹿島則文とも関わっているので、少し触れたい。

『古事類苑』は、本文1000巻、洋装本51冊(和装本350冊)、日本最大の百科事彙である。明治12年、西村茂樹の建議に基づいて、文部省が小中村清矩を主任として編纂に着手、その後、東京学士会院・皇典講究所・最後に神宮司庁に移管されて、大正3年、35年間の歳月を費やして完成した。明治28年、皇典講究所は契約の期限になったが、完成することが出来ず、「文部省ガ国家文運ノ為ニ計画シタル此一大事業モ、或ハ蹉跌セントスルノ状況」に至った。この時、社寺局長・阿部浩は、伊勢神宮宮司鹿島則文に議り、これを完成させようとした。則文は意を決し、その許可を内務大臣に申請した。

「 秘甲第10号
  世界孰ノ邦モ、文運ノ開クルニ従ヒ、類聚書ノ必須ナルハ自然ノ勢ニシテ、漢洋共ニ其ノ書ニ乏シカラズ、然ルニ吾邦ニ於テハ、文運夙ニ開ケタルモ、未類聚書ノ完全ナルモノアラズ。是豈盛世ノ一大闕点ナラズヤ。文部省曩ニ此ニ見ル所アリテ、古事類苑編纂ノ挙アリ。然レドモ其事未ダ成ルニ及バズシテ、予メ完成ノ期ヲ定メ、之ヲ皇典講究所ニ委託セリ。皇典講究所、又孜孜編纂ニ従事シタルモ、未完成ニ至ラズシテ、既ニ約スル所ノ年期ニ達セリ。豈又遺憾ノ至ナラズヤ。故ニ今之ヲ同所ニ謀リ、文部省ニ稟請シテ、神宮司庁、編纂ノ責務ヲ負ヒ、五ケ年ヲ期シテ完成セシメントス。仰ギ願クハ、神宮司庁ニ於テ、該編纂ニ従事スベキ件、併セテ向フ五ケ年間、累積スベキ社入金非常予備金ヲ以テ、之ガ費用ニ充ツコトヲ、御許可アランコトヲ、抑遠近子来ノ崇敬者、奉献スル所ノ金ヲ以テ、コノ国家無前ノ大業ヲ成シ、大ニ文運ノ開進ヲ裨補スルコトアラバ、幸ニ、天覆ノ、神徳ヲ、偏ク衆庶ニ蒙ラシムルノ一端ト相成、天祖愛民ノ御盛意ニモ協ヒ候ニ付、前件御許可ノ程奉願候也。
   明治二十八年二月十二日              神宮宮司 鹿島則文
 内務大臣子爵野村靖殿            」

 この申請は、3月29日付で許可され、神宮司庁はね文部省及び東京学士会院作成の原稿234巻と、皇典講究所作成の原稿407巻、合計641巻の原稿を受領し、『古事類苑』編纂の事業を引き継いだ。明治29年11月8日、第1冊目帝王部第27巻を刊行、則文は、明治31年職を辞して帰郷したが、この大事業は、冷泉為紀・三室戸和光・岡部譲・桑原芳樹・木野戸勝隆等によって継続され、大正3年に完結した。この事業に関しても,則文の果たした役割は大きい。

●本書で取り上げている、岩波書店の『国書総目録』に関しても、その学恩は計り知れない。この、膨大なデータの蓄積を、1つの出版社が成し遂げたという事に、心から感謝を捧げ、出版業としての文化史上の意義を永遠に伝えなければならない、と思う。

★本書の詳細目次→http://www.ksskbg.com/sonota/shin.htm

■■『三大編纂物―群書類従・古事類苑・国書総目録―の出版文化史』