九段下の桜

●今日、村岡先生からメールを頂き、「千鳥が淵」の満開の桜の写真を添付して下さった。江戸城の内壕に咲き乱れる桜の見事な写真は、まるでその場で花見をしているようである。先生が九段下で下車して桜を鑑賞し、その感動を伝えて下さったのは、170年ほど前に、この地に井関隆子は生活していた、とすると、彼女もこの桜を眺めたのだろう、という思いからである。有り難い事だ。

●もう何年も前になるが、大学からの帰り、桜の満開の頃、大西先生のマークⅡで千鳥が淵から飯田橋へかけて、内壕・外壕の桜を楽しんだことを思い出す。市ヶ谷のアルカデアで食事をしながら、夜桜を愛でた。先生はマークⅡの新型に買い換えようとして、それを果たせず亡くなった。今、黄泉の世界で、車でもないだろうから、大好きなお酒を味わっているだろう。眺めているのは、やはり、この千鳥が淵のような桜であろうか・・・。先生と村岡先生と、よく飲んで語り合いましたね。

●村岡先生が想像されるように、井関隆子は草花が大好きだった。桜も好きで、よく上野の山や、隅田川や、花見に出かけている。当時、九段坂の辺りは牛が淵と言って、かなり急峻な坂で、壕に落ちて命を落す人もあった様だ。防止のために高い垣を造ったとも言っている。しかし、田安門から半蔵門へかけての、今で言う千鳥が淵の桜に関して、『井関隆子日記』では、余り触れられていない。

■■これは「千鳥が淵」の桜ではない。幕末・維新に活躍した、鹿島神宮宮司鹿島則孝の『桜斎随筆』に収録された、則孝の「吉野山一目千本」の一枚である。則孝の膨大な記録『桜斎随筆』は、やがて脚光を浴びる時がくるだろう。