『井関隆子日記』 に見られる地震の記述

●真下英信氏の 「『井関隆子日記』に見られる地震の記述」(慶應義塾女子高等学校研究紀要、第26号、2009年3月)を拝読した。『井関隆子日記』に記録された地震に関する部分を綿密に調査してデータを出した労作である。

●真下英信氏の調査によれば、天保11年〜15年のほぼ5年間、1753日間に江戸で記録された有感地震は192回となり、このうち、『井関隆子日記』に記されているのは68回であるという。真下氏の研究は、『増訂 大日本地震史料』をはじめとする、地震に関する諸史料を掲出しての本格的な調査である。

天保11年〜15年に、江戸九段下で記録された、1人の女性の日記が、このように地震の発生頻度というような自然現象の調査史料の補強に利用して頂けて、私としても、大変うれしい。実は、私は、この日記を校訂していて、地震の記録が頻繁に出てくるので、メモして関係者に報告しようかと、何度か思ったが、実行はしなかった。それが、このように活用され、感謝している。歴史における〔記録〕の大切さを、また痛感することになった。

■■『井関隆子日記』天保11年5月15日 の条の地震の描写
「夏の日のくれがたう、かく物がたりするほどに、なゐふりぬ。此ごろ
 をりをりかくある、いと心づきなし。おのれはいかづちよりもきらへり。
 といふに催されけるにか、此人又いへらく。おのが国にては是をみな人
 なえとなんいへる。はた享和とふ年の、二とせにあたりける年は、おのれ
 五才の歳にて、袴着とふ事をし侍りて、羽茂郡小木湊なる、
 きざきの社へ、父のつれて詣させ侍りしが、時は霜月の望ノ日
 なりき。空の色俄にあやしけ気にかはり、あま雲も手にとるばかり」

●この日は、佐渡歌人・蔵田茂樹が遊びに来ていて、語り合っている時に地震があった。