古典の校訂について もうひとつ

●私は、昭和53年から56年にかけて、『井関隆子日記』全3巻を勉誠社から刊行した。この日記の原本との出会いから校訂本完結までは9年間かかった。著者の筆跡は多少くせはあったが、見事な自筆写本であった。全体では64万字くらいであるが、私は、これを、全て読み取った。写本・版本などの変体仮名は、90%までは、誰でも読める。しかし、研究者ならば、最後の1%を読みきらなければならない。これは、至難のことである。マックス・ウェーバーは『職業としての学問』の中で、その事を言っているのである。

●原本の、素読み・下書き書写・清書・原稿と原本の引き合わせ・初校・再校・三校・念校、と続けて本にした。この間、私は、同じ本文を10回以上読んでいる。1回1回、読む規準・力点の置き所が異なる。1回1回、読む意識をリセットして読む必要がある。そのようにして世に送り出してはいるが、ミスがないか、不安でいっぱいなのである。ミスがあるのは、私の能力の限界だろう。研究者は、皆、このような不安を抱えながら、校訂の仕事をしているものと思う。

●校訂者は、このように、努力しているから、その本文を読み抜いているか、と言えば、そうとも言えない。この井関隆子の日記について言えば、新田孝子氏・ドナルド・キーン氏・秋山虔氏・田中伸氏・江本裕氏、野口武彦氏、藤田覚氏、大口勇次郎氏、関民子氏、まだまだ、たくさんいると思うが、これらの、校訂に関与していない研究者が、一読、その価値・魅力を読み取っておられるのである。

●校訂に当っては、このような、努力は必要になるが、故に、そのテキストの文化的、文学的な価値まで汲み取り、判断し切れたかと言えば、そうでもないのであろう。人間の能力には限界がある。それを補い合って、古典の良さを享受してきたのが、歴史だと思っている。

■■ 『井関隆子日記』の原本 これは、昭和女子大へ移管される前に複写した。原本の少し複雑な部分である。