経営に脈打つ「世界一の職人」の教え

●今月は、如儡子の伝記調査のため、山形の藤島・酒田へ行く予定。その打合せの電話を入れたら、若社長がおられ、会長の豪盛氏はすでに帰宅された由。長井市のSAITO MOLD(斎藤金型製作所)である。お蔭さまで、久し振りに、3代目社長の斎藤輝彦氏とお話しすることができた。まだ専務だった頃、二本松の菩提寺・松岡寺の墓所の改葬発掘の時、お会いした。如儡子・斎藤親盛の、第14代目に当られる。父親の豪盛氏が、第13代目で、現在の会長である。しばらく近況など話し合って、電話を切り、斎藤金型製作所のHPを見て、ビックリした。

●『JBpress(日本ビジネスプレス)』の記事が紹介されていた。1月15日付で、ライターは鶴岡弘之氏。記事の内容は、会社の設立経過や、2代目社長・豪盛氏が、昭和47年に単身渡米して、ケンタッキーのGEに自社製品の技術を売り込んで受注に成功したこと、現在の生産は、プラスチック成形、金属射出などの金型制作、射出成形、ブロードバンド通信用のモデムやルーターなどであること等々が詳細にレポートされている。

●私が、驚いたのは、社長の輝彦氏が、若いころ、墨田区岡野工業岡野雅行氏の下で修業されたということである。岡野氏は、私も何回かテレビで見て、感激していた。小型リチウムイオン電池ケースや“痛くない注射針”など、次々に開発したスゴ腕の「世界一の職人」として知られている。輝彦氏はここで修業した後に、自社に入ったと言う。社の応接室にはGEから贈られた永年取引優良企業としての表彰牌と共に、岡野雅行氏と2人で撮った写真が掛けてあるという。以前、私が伺った時も、掛けてあったと思うが、気づかなかった。とにかく、すごい師匠のもとで、技術的にも、精神的にも磨き上げた若い社長の率いるSAITO MOLD(斎藤金型製作所)は、社員40名、売上げは約6億だという。

如儡子の祖父・初代光盛は、越後から出羽藤島へ移り、藤島城代をつとめたと伝わる。父の2代盛広は、酒田城代・川北奉行を勤めた。如儡子・親盛は18歳の頃、父と共に浪人となったが、生涯、武士としての誇りをもって生きた。そんな斎藤家の伝統が、平成の現在に生きているように思える。

★★SAITO MOLD(斎藤金型製作所)→http://www.saitomold.co.jp/

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