佐佐木信綱と鈴木重嶺

佐佐木信綱は、近代短歌を切り拓いた歌人の一人としても知られていたが、国文学専攻としての私は、『万葉集』『新古今集』の研究者として、まず学恩を蒙った。この信綱に少しではあるが、具体的に関わるようになったのは、鈴木重嶺関係の資料を整理し始めてからである。資料の中には、重嶺関係の写真もかなり在り、その中の写真には、与謝野晶子榎本武揚勝海舟も写っていて、若い佐佐木信綱も老翁の重嶺と共に写っていた。

与謝野晶子は、鈴木家の娘か姪かが関係していたらしい。榎本武揚は鈴木家と親戚、勝海舟は重嶺と明屋敷伊賀で同じ出自で、晩年まで非常に親しい交流があった。そんな関係で、写真に写っていたのであろう。

●昭和61年11月8日、桜山文庫の所蔵者・鹿島則幸氏が昭和女子大学に来られた。桜山文庫の国文学関係の蔵書が昭和女子大に移管され、整理も一段落したので、貴重書の書庫を御覧頂くためであった。貴重なものから帙に入れはじめていたが、その保存状態を御覧になって、鹿島氏は大変喜んでおられた。

●その折、鹿島氏は、これまで、御自分が居間に掛けておられた、祖父・則文の短冊と共に、佐佐木信綱の短冊も御恵与下された。鹿島氏も歌を詠み、信綱のお教えを頂いていたとのことである。短冊は、

 人の世に よき春きたる 喜の ひかりもたらし よきはる来る  信綱

とある。筆跡からみても、信綱最晩年の詠であろう。

●このような、貴重な短冊を頂いて、鹿島氏の御温情に、改めて感謝した。20年以上も前のことである。

佐佐木信綱の短冊