本を出す

●私は、より多くの人に自分の考えを伝えるには、本を出すことだと思っている。いくら、頭の中で考えても、他者には伝わらないだろう。それには、まず、話す事だと思う。1人よりも2人、50人、100人の方に話すほうが多く伝わるだろう。さらに、効果的なのは、文章を書いて、雑誌などに発表する事だと思うし、本を出すことだと思う。本を出しておけば、図書館などで、私と関係ない人も、その本を開いてくれる可能性がある。私が大学卒業以来、本の出版に努力してきたのは、そのためである。

●【1】『可笑記評判』(昭和45年・1970年)から【61】『浅井了意全集』第1巻(平成19年・2007年)まで、40年間近く、常に倦む事無く本を出す事に取り組んできた。鹿島則文や狩野亨吉が聞いたら、呆れて笑うだろう。鹿島則文は、珍籍奇冊3万冊という「桜山文庫」を残したが、自らの著書は1、2に止まる。狩野亨吉は近代の偉大な教育者であるが、死後に著作を集めてみたら、小冊が1冊のみであった。しかし、彼の残した蔵書は狩野文庫として東北大学に所蔵されている。私は、かつて、鹿島則文の略伝をまとめたことがあるが、この偉大な2人の先学に共通点を見出した。溢れるような知識を持った2人、多くの人に教えたが、自分の本は少なかった。だから、みすぼらしい知識を振り絞って、本を出し続ける私の生き方を、2人は笑うだろう。

長澤規矩也先生は葬儀の時、祭壇の前に御自分の編著書を背を前に向けて縦にして、端から端まで並べておられた。私は献花しながら、大変な先生に御指導を頂いたものだと、先生の偉大さをしみじみ感じ、その学恩に感謝申し上げた。先生は、三省堂から漢和辞典を出しておられ、これは印税がもらえたと思うが、そのほかの膨大な編著書は、少なくとも、お金目当ての仕事ではなかった。いくらたくさん本を出したとて、印税目当ての本ならば、余り褒めたことでもあるまい。お金にならない、むしろお金を使っても本を出す、これは実に尊い行為だと思う。

●私の出版への取り組み方を見て、本を出すのが趣味だと言った御仁もおられたが、私は非常に多くの方々に助けられながら、趣味の人生を送る事が出来て、この事を心から感謝している。ただ、私は、これらの1冊1冊の本を出すために、真剣に取り組んできた。そうして、これらの1冊1冊は、今後、20年後、100年後に、きっと、真剣な1人の読者にめぐり合うだろうと、信じている。人間の文化とは、そういうものであろう。


■■書斎の自著のコーナー  2009年1月現在