筆くせ

●人の筆跡には、それぞれ癖がある。最近、ベストセラーになっている本に『東大合格生のノートはかならず美しい』というのがある。この本は、読まなくても内容は推察できる。全体的に、女性のノートは美しく、男性のノートは雑のように思う。私のお世話になった、丸山先生と清水先生は2人とも男性であるが、そのノートは実に美しかった。反して、友人のT君の手紙にはホトホトホ困らされている。

●さて、私はどうか、大学時代のノートの取り方は、まず、雑記帳に先生の講義を丸写しする。先生の話し振り、余談も全てである。それを科目毎のノートに整理して転記する。直後なら読み取れる。しかし、1週間ためると、判読に苦労する。自分で書いた文字が読めないこともシバシバ。字が下手な上に、ゾンザイな書き方である。過日、文春新書から出した、拙著の現代語訳(実は、意訳なのだが)がゾンザイだと評した御仁がおられたナー。それは、それとして、とにかく、私のノートはゾンザイである。主語などは無い。

●『桜山文庫目録』の鹿島則幸氏の筆跡は、一見、美しいとはいえないかも知れないが、実に正確である。あの膨大なコレクションの目録で、判読不能の文字は一字も無かった。すごい集中力と言って良いだろう。

●『蓬園月次歌集』の序文や跋文は、どうも、黒川真頼・三田葆光・鈴木重嶺が、それぞれの筆者が書いているらしい。ところが、収録歌1千首の版下は、何と平戸藩主の松浦詮が自ら書いている。実に見事な筆跡である。さすがに宮中歌会始の担当者らしい。しかし、松浦には筆癖がある。歌でも読み取れないものが少なくない。この松浦詮から鈴木重嶺に宛てた書簡1葉が、昭和女子大学図書館に所蔵されている。この判読には、ホトホト困った。江戸博の先生の助けで、ようやく判読した。

●井関隆子の自筆の日記がある。これも昭和女子大学に所蔵されているが、この自筆写本は見事である。約60万字あるが、読めない字は無かった。ただ、彼女には決定的な筆癖がある。「恥」のつくりを「心」ではなしに「必」と書いている。面白いものである。

●附録 過日、八王子で書の塾を開いている石井清玉(美穂)氏から、松本筑峯氏の『破体書独創56年 米寿記念』という大著を頂いたので、そのお礼の手紙を出した。石井氏は、あろう事か、私の手紙を、破体書道の第一人者・松本筑峯先生に御覧に入れた由。先生は卒寿を迎えられた大家。その松本先生が「ほーう、味のあるよい字を書く方ですね」と仰ったとか。90歳の書道界の大先生がそんな感想を持たれたのであろうか? それとも、清玉先生の創作か?