松浦詮(まつら あきら) と 鈴木翠園

●松浦詮は、肥前の国、平戸の12代藩主。鈴木重嶺と同様に、幕末・維新を生きた。尊皇攘夷を表明して、奥羽征伐に出陣したが、維新後は伯爵となり、貴族院議員となった。和歌・茶道に通じ、宮中歌会始の奉行をつとめた。そんな関係で、維新後に、歌人として活躍した鈴木重嶺・翠園とも交流をもち、台東区浅草橋の庭園・蓬莱園で行われた月次歌会には重嶺も参加している。

●明治22年10月30日には、松浦詮・鈴木重嶺・三田葆光・松浦信寔の4人で、群馬県霧積温泉へ行き、紅葉を楽しんでいる。上野から汽車での小旅行であった。霧積温泉は、前年に温泉地として開発された所であるから、松浦は新しい温泉地に、逸早く出かけたのであろう。

●鈴木翠園は、幕末の頃、佐渡奉行をしたとはいえ、松浦詮のような伯爵とは簡単に付き合えなかったと思う。やはり、和歌の世界で活躍したからであろう。重嶺は幕臣の頃から歌の道に励み、佐渡でも多くの門人を指導した。それが、維新後も実って、このような文化人と交流できたのであろう。

●松浦詮は、明治40年1月3日に『蓬園観古図録』という美術書を出している。さすがに平戸の藩主らしく、すごい文物を所蔵していたようだ。伝紀貫之の『古今集』、明恵上人の書、後醍醐天皇宸簡、武田信玄短冊・・・。

■『蓬園観古図録』(明治40年1月3日、好古社出版部発行)

◎西川祐信 画 美人縮図

◎『東海道分間絵図』元禄3年刊、菱川吉兵衛 画

尾形光琳 画 風炉先屏風 はりこみ団扇 縮図

◎書棚 松平楽翁(定信)、君命して製作せしめしもの。
三代の祖 熈 妻の遣物なり