如儡子・斎藤親盛 の文学碑

●今年の6月、長井市の斎藤豪盛氏から連絡があり、如儡子・斎藤親盛の文学碑を酒田の地に建立したいという。仮名草子可笑記』の作者・如儡子は、酒田の筑後町で、川北奉行・斎藤筑後守広盛の長男として生れた。延宝2年(1674)3月8日没、歳は72歳位であった。何と今の私の年齢である。

●父・盛広は、山形藩主・最上家親に仕えた。親盛も幼少から、主君・家親に側近く仕え、元服の時は、主君の名の一字「親」を賜った。従来、言われてきた如く、尾羽打ち枯らした、みすぼらしい浪人ではない。その心の底には、57万石の大大名に近侍した武士としての誇りがあった。

●斎藤豪盛氏は、如儡子の御子孫で、斎藤家の第13代目の御当主である。私より1歳下であるが、同世代として話が合う。若くして業を起こし、長井市に斎藤金型製作所を設立、高い技術者を養成して、すぐれた製品を次々と世界に送り出した。その一端は、関満博氏の『二代目経営塾』(日経BP)に紹介されている。

●私は、如儡子・斎藤親盛の実体解明をライフワークとして、今日まで研究生活を続けてきたが、大学を辞した今、このような知らせに接し、感慨無量である。