読者以上の 〔読者〕

●昨年11月、文春新書から出した拙著『旗本夫人が見た江戸のたそがれ』に対して、今年3月、半田市立図書館から、朗読者による録音テープへの変換許可願が送られてきた。視聴覚障害者の利用のためである。私としては大賛成であるが、一応、出版社の了承を得て、承諾の返事を出しておいた。

●今日、佐賀県点字図書館の「最新図書案内」「10月号 完成録音図書(テープ)」の中に、拙著が入っていた。テープ5巻である。こちらは発行後ほぼ1年間かけて公開した事になる。半田市立図書館の方はまだ完成しないのであろうか。未確認である。

●いずれにしても、視聴覚障害者のために、ボランティア等の協力を得て本を朗読し、録音して利用してもらう。この朗読者は大変な作業だと思う。ただ読めばよい、というものではないだろう。何回か試読して内容を理解し、しかも、(たぶん)過剰な感情は込めず、読み通す。そのテープを視聴覚障害者は聴く。

●一般に、本を読んだ、と言っても、千差万別、深い理解をして読むひと、飛ばし読み・斜め読みの人、いろいろあると思うが、この録音のために読む〔読者〕は本当の読者であろう。著者の私も感謝している。

●本の読み方もいろいろのスタイルがある。私は、決して多読ではない。その代わり、読んだ本は、著者の意図を理解するように努力してきた。

●従って、蔵書もそれぞれ、人によって特色があるだろう。自分の好きな本、専攻分野に重点をおく人。一般書まで、幅広くそろえて読んでいる人。私は、自分の専攻分野に重点をおいて収集している。だから、他の人々には魅力の少ない蔵書である。