仮名草子作品に描かれた 元吉原

●「見しは今、江戸繁昌ゆへ、日本国の人あつまり、家つくりなすによって、三里四方は野も山も家をつくり、寸土のあきまなし。しかるに、東南の海ぎはに、よし原あり。色好みする京田舎のものども、このよし原を見たて、傾城町を立てんと、この葦の刈りあと、ここやかしこに家作りたりしは、ただ蟹の身の、そのほどに、穴を掘り、住み居たるがごとし。」
「この町、繁昌する故、草の仮屋を破り、西より東、北より南へ、町わりをなす。まず、本町と号すし、京町、江戸町、伏見町、堺町、墨町、新町などと、名付け、・・・」

●今、寛永18年(1641)刊の仮名草子『そぞろ物語』を読んでいる。ここに掲げたのは、その一節である。江戸の遊郭、元吉原は、現在の中央区日本橋人形町辺りにあった。湿地帯の葦を刈り取って家を建て、整備して、元和3年(1617)に幕府の許可を得て開業した。『そぞろ物語』の作者は、砂地に穴を掘って住みかとするカニのようだと表現している。

●この元吉原は、明暦3年(1657)の江戸大火によって焼失し、浅草の現在の台東区千束に移転した。これが新吉原である。私は、仮名草子の講義をしていた頃、この元吉原を何度も実地に調査したが、現在は、その痕跡も無く、明確に地域を確定できなかった。一応、地図は描いてみたが、疑問符を付けて学生に配布した記憶がある。

●この新吉原の現在の状況も、研究者仲間と調査したことがある。京都の祇園などと違って、東京はどんどん改築・開発して、昔の面影はかすかなものである。ヴェルサイユなどという、ソープランドが立ち並び、昼日中から、呼び込みをしていた。