芸術作品の取り扱い

●ことが、秋成に及んだので、『春雨物語』の思い出を記す。昭和60年(1985)夏、私は秋成の晩年の傑作『春雨物語』の桜山文庫本の分析に取り組んでいた。8月・9月の約50日間、来る日も来る日も、文化5年(1808)本、西荘本と漆山本と桜山本、3本のテキストの優劣の判定のために費やした。格闘の末に得られた結果は、桜山本が最も優れた本文であるという事であった。これは、従来の説を修正するものであった。

●しかし、この作業の過程で、私は驚くべき事実に出合った。『春雨』には、この文化5年本と、文化6年の自筆本がある。困ったことに、文化6年の自筆本は完全本ではなく、一部が欠落している。そこで、研究者は自筆本の欠落部分を、前年の文化5年本で補って本文を完成させていた。

●芸術作品において、このような事は許されるのであろうか、というのが、私の疑問であった。文学において、未完成の作品は、最終的な評価は出来ない、と私は考えている。現在、市販されている『春雨物語』は多くが、この取り合せ本である。

クラシック音楽を、時間短縮のために、途中をカットして放送しているのにも、時々出合う。JR高田馬場駅では、電車の発車合図に鉄腕アトムを流しているが、時間になれば、ビシビシ切断している。JR渋谷駅では、一時、発射合図にピアノ曲・琴演奏(らしいもの)を流し、これもメロディとは関係なく切断していた。同駅では電車の乗車位置の印に、花模様のタイルを貼っている。乗客は毎日、花を踏みつけている。

●秋成は、文化6年6月27日、失明の中で、『春雨』の推敲を重ねながら、この世を去った。享年76歳。純粋に芸術に身を捧げた秋成の念いに心して、後人は取り組むべきだと思う。

■『桜山本 春雨物語』(昭和61年2月25日、勉誠社発行)