佐藤春夫著 『上田秋成』

●私は、卒論作成の過程で指導教授には殆どお会いしていなかったので、面接諮問の時、初めて大学院へ進むことを打診された。すでに函館ラサールが内定していたが、急遽、東京で就職することにした。腰掛のつもりゆえ、大衆小説を出している桃源社にお世話になった。ここで、江戸川乱歩源氏鶏太山手樹一郎山田風太郎村上元三・・・など一流の作家の小説を担当させてもらった。

●毎月、7点〜8点の単行本を出していて、編集部は8人だった。創立70年の老舗ゆえ、原稿は定期的に社長と専務が貰ってきていた。社長も専務も法政出身で、私は比較的、気ままに勤めさせてもらった。私が近世文学を専攻している事に配慮してくれたのかどうかは知らないが、大衆小説以外に、林房雄池田弥三郎や渋井清などの先生の本も出すようになった。三島由紀夫遠藤周作の小説・随筆も担当させてくれた。

●入社2年目の昭和38年、深沢君、これをやってみないか、と佐藤春夫上田秋成関係のものを纏めて出す事を指示された。秋成は大好きな作者だから喜んで引き受けた。それが、昭和39年8月20日発行の『上田秋成』である。

佐藤春夫の『上田秋成』には「上田秋成」「上田秋成を語る」「菊花のち約」など13点の評論や現代語訳が収録された。「まえがき」は島田謹二先生、「あとがき」は重友毅先生。重友先生は私の恩師ゆえ、私がお願いして執筆して頂いた。島田先生は専務が頂いてきた。

●原稿整理から校正まで、私が中心になり、装丁は編集長の森本氏と専務の矢貴氏が指揮をとった。ただ、前見返しと後見返しには、私のアイデアで、加藤宇万伎の『雨夜物語だみことば』の秋成の序を利用した。国会図書館本である。「物かたりふみは世におほかめれと、光源氏のもの語はかり、あやにたくめるはなし。・・・なには人、上田秋なりしるす」この冒頭と末尾を配したのである。私は、今でも良い装丁だと思っている。
●重友先生は、「あとがき」の終りを「佐藤さんがこの五月に急逝されたことは、惜しんでも余りあることだが、生前あるいはこの書の成るのを楽しみにしておられたのではないかと思う。そうだとすれば、本書の刊行は、いささかその霊をなぐさめるに足りるものともいえようか。/昭和三十九年六月 重友 毅」と結んでおられる。
佐藤春夫は、この年の5月6日に他界された。生前にお届けできず、残念でならなかった。なお、この重友先生の「あとがき」の生原稿は、現在、私が保存している。鉛筆書きの小振りで端正な原稿である。退社する時、編集長の許可を得て頂いたものである。

佐藤春夫著『上田秋成』(昭和39年8月20日、桃源社発行)