祖父・廣吉 の書

鈴木重嶺の掛軸を購入して、書斎へ掛けて見たら、その隣に我が祖父・廣吉の軸も下がっていた。しかし、こちらは、実用的な書で、土地の相続に関する書類である。祖父は、今で言う、司法書士のような仕事をしていて、村中で重宝がられたようである。それは、それで良いと思うが、問題もあった。大の酒豪であった。
●私の家は甲州南巨摩郡(みなみこまごうり)伊沼村であった。富士川に沿った所に家があり、それが下の屋敷で国道に面していた。もう1つ上の屋敷が500m位離れた、少し高い所にあった。その屋敷には井戸もあり、正面に自家用の墓地があった。高校生の頃、墓石の刻字を見たら、古いものは元禄の年号があった。ヒョッとすると甲斐の名門かも・・・? 昔は屋敷の正面に墓地を作って、朝晩、御先祖様にお参りしていたのかも知れない。
●我が家は、下の屋敷から上の屋敷まで、お他人様の土地を踏まずに行けた由。しかし、私が生れた時には、それらの土地は、お隣や5軒先の家の所有になっていた。祖父が、大酒飲みで、借金のカタに手放したという。故に、私は、お他人様の土地の中の道を歩かせて頂いた。もちろん現在も同じ。
●何もそこまで酒を飲まなくてもよさそうに思うが、こればかりは、致し方がない。晩年、嫁さん(私の母)は、義父を風呂に入れるのに苦労したと、思い出話にしていた。「殺されるー」と叫んだそうだ。
●その祖父の書いた、裁判所提出の書類の残りがあったので、書家の西田先生にお願いして表装してもらった。大正2年のものである。

■祖父・廣吉の書類