和宮、江戸城大奥へ入る

●今日のNHK大河ドラマ篤姫』では、いよいよ京都の和宮江戸城・大奥へ入った。京都と江戸、天皇家と幕府・徳川家、お互いにプライドもあり、経済力・政治力、徳川300年の間、確執の続いた両者ゆえ、服装1つとっても、大奥では大変な騒ぎである。和宮天璋院の遣り取りも、女房たちのタタカイも面白い。
●12代将軍・徳川家慶は、天保13年9月、有栖川宮韶仁(つなひと)親王の王女・精姫(あきひめ)を養女として、京都から江戸城・大奥へ迎えた。この時の様子を、旗本夫人の井関隆子は、詳細に書き留めている。
●このように、京都から江戸へお下りになる時は、そのお里へ莫大の黄金を差し上げるのは当然として、衣装も調度も全てこちらで用意して、江戸へ着いたら、まず品川で、衣装も全て江戸のものに召し変え、髪形も江戸風に結い変えて、すべて京都風の添え物は無いようにして、ただ、お体ひとつ、おいで頂く。それのみでなく、お供の女房たちの、衣装・調度も全て新しいものを奉るとの事である。(『井関隆子日記』)
●これが、長年続いた、京都と江戸のシキタリであったようだが、幕末、和宮の頃には、幕府の勢力・権力も衰退し、激動の時代の中で、力関係が揺らいできたのであろう。

■写真は拙著『旗本夫人が見た江戸のたそがれ』(文春新書)で、この『井関隆子日記』には、幕末の大奥の様子が詳細に伝えられている。→http://bookweb.kinokuniya.co.jp/guest/cgi-bin/wshosea.cgi?KEYWORD=%8A%F8%96%7B%95v%90l%82%AA%8C%A9%82%BD%8D%5D%8C%CB%82%CC%82%BD%82%BB%82%AA%82%EA