和宮・天璋院 御用人

●井関隆子の子の親経は、御広敷御用人を14年間も勤め、11代将軍の正妻・広大院(松の殿)の担当であったが、孫の親賢は、長年、将軍の御小納戸衆を勤め、幕末の、和宮江戸城大奥へ入った頃、御広敷御用人となった。
●親賢は、文久3年(1863)に御広敷御用人になり、和宮天璋院の係を担当したが、1年足らずで御役御免になっている。それは、幕府の財政も逼迫していて、役人のリストラが行われたためと推測される。