文学作品の評価

●天井裏の物置を整理していたら、昭和女子大学女性文化研究所の研究会の記録が出てきた。平成6年(1994)12月6日、私は、同研究会で「井関隆子の人と文学――近世後期・一旗本女性の生涯――」と題して発表を行った。その記録が『昭和女子大学女性文化研究所ニューズレター』№20に掲載されていた。執筆者は同研究所の塩谷千恵子氏である。この記録を読んで、文学作品の評価について、いろいろ考えさせられた。
●私は、昭和53年(1978)、『井関隆子日記』という、幕末の女性の日記を、初めて世間に紹介した。その段階で、この日記は大変価値のあるもので、高く評価できるものである、などとは、一言も発言してもいないし、書いてもいなかった。ただ1つ、上巻の解説の中で「作品」と記したのみであった。
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【深沢追記】
 このレポートをまとめて下さったのは、当時、女性文化研究所の研究員だった、塩谷千恵子氏である。塩谷氏は、『近世初期文芸』第15号(平成10年12月)に「家族物語としての『山椒太夫』(一)――説経正本間の推移――」などを発表されていた研究者で、時々、私の研究室に見えられていた。
そんな折に、『井関隆子日記』が話題になり、井関隆子とは、どんな女性ですか、この日記は、どの程度の価値があるのですか、そんな質問をされた。そう言われてみると、私は、この女性の特色や、この日記の価値について、余り発言してこなかった。発見者の私が、自分から、このくらいの価値の日記だとか、優れた内容の日記だとか発言するのは、自重すべきだと考えて慎んでいたからである。
10年間、この日記に時間を消費した、その行動で判断して欲しいとも思ったし、私の小さな才能で、この日記の価値を限定すべきではない、そう考えたからである。
塩谷氏は、是非、女性文化研究所の研究会で、本音を話して欲しい、そう依頼されて、腹をくくったのである。当日は、大学院の長谷川強先生や、日本文学科の杉本邦子先生、大塚豊子先生もお出で下さり、恐縮しながら、発表させて頂いた。
これは余談であるが、後に、文春新書から、『旗本夫人が見た江戸のたそがれ』を出した時は、余りに褒めすぎて、読者からきついコメントを頂いた。
今日、屋根裏の物置を整理していて、この冊子が出てきたので、紹介することにした。
                             (平成27年3月)
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●詳細 →  近世初期文芸 → 井関隆子日記 井関隆子の人と文学
■『昭和女子大学女性文化研究所ニューズレター』№20