小林秀雄の「歴史に就いて」

●昨日の朝日新聞で、小林秀雄の、全集未収録の、「満州新聞」に掲載された「歴史に就いて」など3作品が発見されたと知った。植民地文化学会の代表、元法政大学教授、西田勝氏が発見されたという。
●6日発売の『すばる』2月号に全文掲載、というので買って読んだ。「満州新聞」1938年(昭和13年)11月29日に掲載されたものである。『すばる』2月号には、西田勝氏の「小林秀雄と「満州国」」という論文も掲載されている。西田氏によれば、これと同様な内容のものは、別にもあるという。この度、発見された小林秀雄の3作品に関しては、西田氏が詳細に論じておられる。
小林秀雄は、この「歴史に就いて」の中で、

「・・・僕等が確にある存在すると思ふのは、歴史的資料であつて歴史的事実ではない。お墓だとか、お寺だとか記念碑だとか――さういふものは確実に存在してゐる。併しさういふ確実に存在してゐる資料といふものはあるがままの形では悉く物質であつて、決して歴史的事実ではないのであります。・・・」
「・・・歴史では、どんなに客観的な態度をとらうと努めても、観察は結局観察者の現在の能力といふ主観的なものに制約されざるを得ない。・・・」

●このように述べている。文学畑の小林が歴史の真相は、結局のところ、研究者の主観に制約される、と言っているのは当然のことであろう。歴史と文学は、近代初期は同じ分野だった。大槻文彦の『言海』も、今で言う「文学」の中に、「詩歌・小説・戯曲・文学批評・歴史・・・」と一括している。言うまでも無く、文学は主観の産物である。そこに、土器や記録などを元にして、過去の人間の歩みを定着しようと「歴史」が分裂した。そのような経緯がある。
●私は、昭和女子大学の頃、日本文学科と文化史学科の関係で、このことについて、文化史学科の学科長の佐生先生と話し合ったものである。また、自分自身の研究でも、主題によって、取り組む姿勢・視点・方法が異なる。ここでも、国語学歴史学の方法を導入してきた。今回の、小林秀雄の1文は、その点でも面白かった。
朝日新聞の記事

■『すばる』2月号

■発見された 小林秀雄の作品