本の書名

●「アンと花子」のドラマで、『赤毛のアン』の書名をめぐる一コマは、実に面白い。訳者、編集者、社長、は様々な書名を考えた。いったんは「窓辺に寄る少女」に決まったが、編集者はどうしても納得がゆかない。で、「赤毛のアン」という書名を提案する。娘の賛成もあって、結局、これが書名になった。モンゴメリーの名作は、日本では『赤毛のアン』で広がった。編集者、社長、娘の里美の命名ということになる。
●私は、最初、幕末女性の日記を「天保日記」で学界に発表した。岩波の『国書総目録』にもそうあるし、原本にも「天保十一年」とあったからである。しかし、その後、著者の名前が判明し、菩提寺もわかり、実家も庄田家とわかった。
●隆子は、幼名を「庄田キチ」という、日記には「源隆子」とも記している。「天保日記」「庄田隆子日記」「源隆子日記」「隆女の記」などが考えられたが、私は、日本史上に、日本文学史上に、一人の女性を登場させたい、しかも近代的な自我の萌芽を蓄えた一人の女性を登場させたい、そう思って「井関隆子日記」の書名をつけた。今も、これでよかったと思っている。