いにしへは布さらしけん玉河に

●今日、「汽笛一声 鮫島信之blog 2014年9月9日」を見たら、渡辺京二氏の『逝きし世の面影』をとりあげていた。
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2014年09月09日
逝きし世の面影

殺伐とした世を暮していると懐古にふけることがある。そういうときに詠み返すのが「逝きし世の面影」(渡辺京二著 平凡社ライブラリー)だ。この本は、幕末・明治初期に日本に滞在した外国人から見た日本、日本人、日本文化を、外国人が書き残した言葉と筆者の思いを重ね合いながら綴った書だ。606ページの大著で、読むには忍耐力がいるが、高祖父母の生きた時代を肌に感じることのできる素晴らしい書なので是非一度手に取ってもらいたい。とても全部は読み切れないと思う人なら、第11章の「風景とコスモス」だけでも読んでもらいたい。この章には、外国人だけでなく、日本人が書き残した古き良き日本も紹介されている。江戸後期の書「井関隆子日記」で、井関隆子は、子供の頃、両親兄弟と遊んだ多摩川をこう描写している。

「八月頃なりければ、千草の花咲みだれる道をわきつつ、打ひらけたる河原にむしろ打敷きて、人々集い見渡すに、うべも玉河といへるもしるく、川水鏡の如くすみ渡り、庭の真砂もみがけるが如く清ら也。河原には目なれぬ草ども花さき、かたへの岡なだらかにて、小松どもしじに生いたるに、小さき童の立ちまじれるは、初茸てふ物とるとて也。むかひには連なりたる遠近の山ども、はるばると見わたせたる、えもいひしらず」

明治、大正、昭和、平成と日本人は多くのものを得たが、多くのものも失った。
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■「汽笛一声 鮫島信之blog 2014年9月9日」

■『井関隆子日記』天保11年7月23日の条

■隆子は、このような図も描いている