芸術は長く人生は短し

●「古代ギリシアの医者ヒポクラテスの言葉。・・・人間の命は短いが、すぐれた芸術作品は作者が死んだのちもながく残るものであるから、芸道に精進すべきであるの意に用いるようになった。」『日国2版』
●陶芸家の木村盛康先生から、お便りを頂いた。木村先生は京都の清水焼の工房で陶芸に打ち込んでおられる。
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木村盛康 陶歴
1935 京都五条坂に生まれる

1954 京都市立日吉ケ丘高校陶芸科卒業
     京都市工芸指導所研究生として成型こ釉薬の基礎的研究に従事
1956 京都市工芸指導所、陶磁器技能者養成本科卒業
1957 京都市工芸指導所、陶磁器技能者養成専科卒業
     兄、盛和に師事
1959 京都美術展初入選
     国立近代美術館「現代日本の陶芸展」招待出品
1963 日本伝統工芸展初入選
1966 京都山科に移る
     日本工芸会、正会員に推挙される
1970 第17回日本伝統工芸展出品作品《天目釉壷》外務省買上
     コンプレックス美術館に《白釉螺線文大皿・組皿》所蔵
1972 近畿支部第1回日本工芸会展で《天目釉壷》優秀賞(近畿支部長賞)受賞
1978 伝統工芸第7回日本工芸会近畿支部展で《松樹天目壷》優秀賞(大阪府教     育委員長賞)受賞
1979 京都在住「現代陶芸家展」招待出品
1980 京都美術懇話会会員に推挙される
1983 京都工芸美術作家協会会員
1986 故宮美術館に《松樹天目壷》所蔵
1993 ボストン美術館に《禾目碧天目壷》《松樹天目茶盌》《窯変禾目碧
     天目茶盌》所蔵
     大阪高島屋に於いて初個展
     フロリダ国際大学美術館に《油滴天目長方皿》所蔵
1994 平安建都千二百年記念特別企画展出品      
1995 現代・京都の工芸展出品
     フロリダ国際大学美術館に《華炎天目長方皿》所蔵
1996 ダラス美術館に於いて「日本の黄金時代桃山展」に招待出
     品、《華炎天目茶盌》《松樹天目花入》《禾目碧天目器》所蔵
1997 ヒューストソ美術館に《窯変禾目天目壷》《禾目碧天目茶盌》
     所蔵
1999 大英博物館に《華炎天目大鉢》《松樹天目茶盌》所蔵
2000 ハーバード大学美術館に《耀変天目茶盌》《禾目碧天目壷》《禾目
     天目鉢》所蔵
2003 伊勢の神宮に《天目宙茶盌》《禾目碧天目茶盌》奉納
     神宮徴古館に所蔵
     ピーボディエセックス博物館に《天目宙茶盌》《松樹天目壷》
     《極天柿文壷》所蔵
     ボストン美術館に《松樹天目切高台茶盌》所蔵
2004 フロリダ国際大学美術館に《松樹天目壷》《華炎天目器》所蔵
2005 京都府文化賞功労賞受賞
     大阪高島屋に於いて古希記念展
2006 フロリダ国際大学美術館に《天空方壷》《天空金彩文大皿》
     《極天方壷》所蔵
2007 京都迎賓館《天空大鉢》《天空花入》買上
     関西大学博物館に《天空大皿》《華炎天目柿文大鉢》《禾
     目碧天目方壷》《天目宙茶盌》《天目アンドロメダ
     茶盌》他所蔵
     伊勢の神宮に《天空茶盌》奉納、神宮徴古館に所蔵
           【以下省略】
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●木村先生と出会ったのは、仮名草子作者、如儡子・斎藤親盛の御子孫・斎藤豪盛氏の紹介であった。木村先生と私は35年、豪盛氏は36年生まれ、ともに話はよく通じる。豪盛氏と木村先生の交流は浅からぬものがあり、平成23年に酒田の上日枝神社境内に〔齋藤筑後守記念碑〕を建立の折も、特別に記念品として 銘〔筑後守〕の盃を作って下さった。
●木村先生の陶芸家としての略歴は前掲の通りであるが、この後も、絶える事無く精進され、次々と創作作品を世に送り出しておられる。お便りによると、この秋には、飛騨高山で個展を開催されるという。そこでは、新たな天目釉〔天目黄山〕〔天目極星〕という作品を世に問われるという。
●私は、同年の木村先生の、この尽きることの無い、芸術意欲に圧倒される。諸事、人生の仕舞い支度に取り掛かっている私とは、雲泥の差である。
■木村盛康先生

■作品


■銘 筑後