ネット時代の盗作

●今日の朝日新聞に 「盗作の考現学」――蔓延するパクツイート・コピペ論文―― が出ている。そもそもオリジナリティーとは何か、とも問いかけている。言われてみれば、自分の文章とは何か、と自問したくもなる。共通の「言葉」を繋げて文章にする。共通の論説を地ならしして、その上に、自分の説を主張する。自分の説がなければ、書く必要は無い。にもかかわらず書かなければならない事情がある。そんな時、盗作や剽窃は生まれる。
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 ツイッター上には、他人の文章を丸写ししたパクリツイート(パクツイ)があふれ、論文のコピペ(切り張り)も問題化している。お手軽な盗作行為が蔓延(まんえん)する背景事情を探った。 
 ツイッターで1万人超のフォロワーを持つ男子大学生(18)は、高校時代からパクツイに手を染めてきた。ツイッターには発言者を明示して転載するリツイート機能もあるが、それは使わない。人気の出そうな投稿を見つけては、あたかも自分の発言のようにつぶやくのだという。
 「フォロワーが増え、たくさんリツイートされると優越感が得られる。受験勉強のいい憂さ晴らしだった。最初は罪悪感もあったけど、みんなやってるし、徐々にマヒしていった」
 ボタン一つでパクツイできるスマートフォン用のアプリを使い、1日平均300回、多い時には700回パクツイしたこともある。
 パクツイ常習者の別の男性(21)は「ずっとニートで、リアルな友達はまったくいない。パクツイは寂しさを埋めるための暇つぶし」と打ち明けた。
 パクツイ問題に詳しいライターのセブ山さん(30)は「パクツイをする人たちは『評価されたい』という承認欲求が強い。若い人には、ネット上のものは『フリー素材』という意識もあるのでは」と指摘する。
 大阪市立大大学院の増田聡准教授(メディア論)は世間でのコピペの横行を逆手にとるように、数年前から学生に「完全なパクリレポートを作成せよ」という課題を出している。書籍や新聞、ネットなど10以上の出典から一字一句変えずに切り張りし、かつ意味の通る内容に仕上げなければならないため、実は難易度が高い。
 増田准教授は「オリジナリティーは、外的制約との対峙(たいじ)の中で初めて立ち現れる。自分の意見は世間に散らばった言葉からできているのだと、身をもって知ってもらいたい」と語る。
 そもそも、オリジナリティーが重視されるようになったのは近代以降の話だ。近松門左衛門はライバルと互いに脚本を利用し合いながら切磋琢磨(せっさたくま)し、狩野派の絵師の間では、独創より模倣が奨励された。思想家・林達夫は「剽窃(ひょうせつ)は大きくいえば人類社会の共通的現象」「明治大正文化なるものはほとんど西欧からの剽窃文化」と論じた。
 オリジナリティーとは、出典が分からないほど複雑に引用された、優れた「盗作」ともいえないか。――というこの一文も、2000年3月25日付朝日新聞夕刊からのコピペである。
 ではなぜ、パクリやコピペがこれほど物議をかもすのか。
 『〈盗作〉の文学史の著者、栗原裕一郎さん(48)は「ネットの普及でコピペが技術的に容易になった。ネットの衆人環視と集合知で盗作が発覚しやすくなり、糾弾が盛んになったことも大きい」と指摘する。
 小保方晴子氏の博士論文コピペ疑惑も、ネットの検証を通じて浮上した。盗作問題が炎上する背景には、パクリのカジュアル化とネット世論の相互関係がある。
 剽窃を防ぐ手立てとして、論文のコピペ検出ソフトの開発など技術面での取り組みが進む一方、教育の重要性を訴える声もある。
 国際日本文化研究センター山田奨治教授(情報学)は「コピペは何も考えずに他者の情報をうのみにする行為。中学生ぐらいから、情報を批判的に分析するリテラシー教育をしていくことが大切だ」と語る。
 パクツイをするユーザーの間には、元投稿を「お気に入り」登録するという最低限のマナーがある。パクリがカジュアル化した時代の、カジュアルな倫理の萌芽(ほうが)。この芽が、創作に対する真の敬意へと育つことはあるのだろうか。
 (神庭亮介)
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栗原裕一郎氏の『〈盗作〉の文学史』は、かつて読んだが、労作である。筆や万年筆、タイプライターで原稿を書いていた時代には、他人の論文を書き写すのも大変だった。そこに、パソコンやインターネットが導入されたので、コピペやパクツイが参入してきたのである。
朝日新聞 5月6日