−幻の都「大津京」を掘る−

●八木健吉氏の今回のレポートは、滋賀の大津宮遺跡を取り上げている。理系の八木氏の歴史・文化への眼差しは、実に意欲的、実に誠実、真理を求め続ける思いが、常に籠められている。私は、いつも教えられることが多い。
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<幸運の女神が微笑む?>
上述のような近江大津宮発見の経緯を知ってみると、まさに事実は小説よりも奇なり、である。当時の林 博道技師が学界ではやや片隅におかれていた錦織地区にも目を向けていなかったら、たまたま工事用の堀削重機を見て「これは一大事!」と思わなかったら、土地所有者の伊藤氏が規制がないことで説得に応じず工事を強行されていたら、最初の発掘でうまく柱穴を掘りあてていなかったら、とかとかのたら話を考えてみると、近江大津宮の所在確定は今も出来ていない可能性が高い。

林先生は、「実質、見通しの立たないまま半年以上待ちぼうけを食わされながらも、調査とその取扱いを何もおっしゃらずにお待ちいただき、また、調査にもたいへん好意的にご協力いただいた伊藤家の方々には感謝しきれない。この地点での調査が中途半端や未遂で終わっていたら、大津北郊でのその後の調査はあり得なかったであろうし、大津宮は永遠に幻のままであったかもしれないからである。大津宮の発見は伊藤家の方々のご理解の賜物というほかはない。」と記されている。

大津宮遺跡
ということで、近江大津宮の遺構発見に関しては、まさに幸運の女神が微笑んだということであった。その裏には長年にわたる人間活動の歴史があることを感ぜずにはいられない。何かに対する疑問をもち、それをつきとめるために年月や世代を越えて色々調査をし、論争をし、事実を探っていくという活動を行う能力は、人間に与えられた最大の宝である。最近、世間を騒がしているSTAP問題も、今はあまり騒がずに研究者のこれからの真剣な追求にゆだねればよい話である。
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●私も、全く同感である。

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明治28年建立の志賀宮址碑     

柿本人麻呂の歌碑