パソコンで書く文章

●今日の「天声人語」は、書き言葉について記している。
。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。
「書きことば」の抵抗 
・・・前略・・・
 新と旧とはせめぎ合う。「あなたは今日ペンで文字を書いたか?」。こんな問いを発するのは、作家の藤原智美(ともみ)さんの著書『ネットで「つながる」ことの耐えられない軽さ』である。「書きことば」の衰退を認めつつ、抵抗する決意を語った書だ。
 代わって勃興した「ネットことば」の特徴は、自分のことばと他人のそれとの境が曖昧(あいまい)になることだとの指摘にうなずく。近年目立つ論文盗用も政治家の放言も、誰のことばなのかという所有の意識が薄れて無責任になったためだ、と。
 筆を動かし、一文字一文字刻みつける行為には苦楽がともに潜む。下手でも自分のことばという自覚を生む。パソコンを打つことでできあがる当欄も、心意気だけは旧にくみする。(2014年04月06日 朝刊)
。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。
●もちろん、私も大賛成である。私は、コピー機の無い時代に大学のレポートや卒論を書いた。それから、ワープロになり、パソコンになった。ワープロもパソコンも即導入して対応してきた。しかし、常にパソコンの優等生の文章には抵抗してきた。最近の論文でも評論でも、パソコンで書いたものは、すぐわかる。私は、ひとつの論文をまとめるのに、最低、10回のプリントアウトをする。それを読んで、朱を加える。挿入や入れ替えや、を繰り返して、自分好みの文章にする。パソコン上での修正では、やはり、限界がある。プリントアウトして、時間をおいて推敲する、これがいい。文春新書から本を出した時も、目次を15回くらい組み替えた。それでも、編集者は、注文をつけてきた。
●もちろん、この種のブログは、書きっぱなしである。ただ、頭に浮かんだままである。故に、舌禍事件も発生する訳である。ブログ歴10年以上、よく、飽きもせずに書き込んでいる、と思う。