『井関隆子日記』は、もう古い

●私が、鹿島神宮宮司家の桜山文庫の中の、12冊の著者自筆写本に出会ったのは、昭和47年(1972)のことである。もう40年以上前のことになる。『井関隆子日記』全3冊として、勉誠社から出したが、殆ど注目もされず、本は売れなかった。昭和59年から、昭和女子大学国語国文学科で講読の教材に採用され、私は、履修の学生に、「井関隆子・いせきたかこ」と耳にタコが出来るくらい、宣伝した。定年後、文春新書から『旗本夫人が見た・・・』を出し、「発掘 幕末のスーパー才女」と売り出したが、それからでも、随分経過した。
●もう、この日記は、歴史史料としては、古い。刊行中の朝日新聞の『新発見 日本の歴史』には入らないだろう。今後は、歴史学者が、このような、大衆向けの啓蒙書ではなく、歴史学的論考として、徳川家斉の没日や、徳川家定正室・有姫の実父の解明などに取り組む時であろう。
●また、文学史的には、その後、何人かの優れた論文が発表され、京都大学の研究生が、この作品の日記文学としての位置づけに意欲を示していたが、そのような研究の深まりを期待したい。
●ネットの世界でも、私が、何度も何度も、宣伝に努めた効果があって、もう、消えないだろう。ここまで、定着するとは、正直のところ思わなかった。もう、いいと思う。