文学の基礎は文章

●現代のヴェートーベンと評価された、佐村河内守氏は、音楽の譜面が書けなかったらしい。作品のイメージを図形で示したと言う。音楽の基礎は音ではないか。絵画の基礎は描写された形と色彩ではないか。文学は、何と言っても文章だと思う。
●40年前に、私は、幕末の女性の日記に出合った。試行錯誤の末に、この日記は文学である、と評価し、世に出そうと決断したが、その根拠は文章力であった。
●優れた文章は、優れた内容を伴う必要がある。空疎であったり、浅薄であってはまずい。この日記は、その要件を満たす文章だった。私は、『井関隆子日記』上巻のあとがきで「新しい作品」と書いた。著書は誰でも書けるけれど、作品は誰でも書ける訳ではない。作者でなければ書けない。
●しかし、仮名草子研究に取り組む無名の者の出した『日記』は簡単には認めてもらえなかった。単なる歴史資料だと言った人もあった。日記文学とは、このようなものではない、と軽くあしらった人もいた。目が洗われていない、と評価した人もいた。しかし、認めてくれる人も、出始めた。
●その後、大学入試センター試験に出題された。明治大学京都大学の入試にも出題された。今日、たまたま、センター試験の問題を詳細に分析・解説しているサイトを見た。何と、30頁以上の分量である。今日の「天声人語」によると、丸谷才一は、『源氏物語』は語法的にも題材的にも高校生には難しすぎる、と言っていたという。それに比すれば、井関隆子の文章は、近代語ゆえ、わかりやすい、と思う。
■今日、見つけた、井関隆子の文章の解説