大久保君を悼む

●法政大学の同期、大久保トホル君が、1月16日、御他界なされた。77歳であった。

 心からお悔やみ申し上げます

●大久保君は日刊工業新聞社の本社営業局企画部に勤務、もう、とうに定年退職され、その後は、名機を駆使してモノクロ写真の世界にドップリと浸る生活だった。
●写真は、松田二三男氏に師事、現像・焼付は、神保町の森繁次郎氏に依頼していた。フィルムはイルフォードだった。1990年、個展「坂戸市とその周辺」を開催。彼は、三脚は一切使用せず、15分の1秒でも、全て手持ちだった。使用していたカメラは、ライカ6台、コンタックス3台、ライカレンズ11本、コンタックスレンズ5本を愛用していた。
日刊工業新聞社の社報『にッかんプラザ』第280号(1993年7月号)の「らくがき自慢」の欄に「モノクロ写真にこだわる――操作が楽しい旧型の名機愛用」として、一文を寄せている。電子カメラ全盛の今、何故、ノブでフィルムを巻き上げるカメラにこだわるのか、その魅力を披瀝している。AJCC(全日本クラシックカメラクラブ、会長=松田二三男氏)に所属し、AJCC展に連続15回出品。
●大久保君は、卒論は世阿弥の『風姿花伝』で、西尾実先生の御指導を受けた。茶道は茶通箱、活花は師範。記憶力抜群で、いかなる話題にも、機関銃のような知識が口から飛び出した。
●また、一人、友を失った。寂しい。

■『にッかんプラザ』第280号(1993年7月号)

■大久保トホル君
 この写真は、私がニコンで撮ったもの

■拙宅新築の時、大久保君が撮ってくれた
下部に私が入っている。