芥川賞・直木賞 150回

●日本文学の新人発掘などで、さまざまな賞があるが、芥川賞直木賞は有名で、この受賞作品は、読者が飛びついて買う。そこで、作家も出版社も注目して、候補作品の発表など、ニュースでも報道する。この菊池寛が創設した文学賞が、今回で150回になるという。
●今日の朝日新聞の読書欄の島田雅彦氏の「先物買いか、取りこぼしか」という批評は面白い。その時々に選考委員も変わるが、第37回・1957年の芥川賞の選考委員は、川端康成石川達三舟橋聖一瀧井孝作佐藤春夫宇野浩二井上靖・・・などであった。島田氏は次のように言う。
。。。。。。。。。。。。。。。。。
芥川賞
 作家でありかつ編集者、経営者でもあった菊池寛はかなり「作家稼業」ということを意識していた人で、文士に墓と保険を確保してやる文藝家協会と、作家に生活の安定をもたらす福祉の役割を果たす芥川、直木賞を創設した。
 戦前はまだ商業文芸誌が少ない時代で、多くの候補作は同人誌に発表されたもので、受賞者を見ても、私が読んだことのある作家は三人しかいない。
 ■文学の潮流作る
 四十五年上半期から四十八年下半期まで戦争と敗戦による中断が四年間あったが、以後は「該当作なし」を除いて、継続的に受賞者を出してきた。のちに文豪の名にふさわしい存在になった受賞作家に注目してみると、安部公房松本清張小島信夫遠藤周作開高健大江健三郎古井由吉中上健次村上龍と錚々(そうそう)たる顔ぶれではあるが、大岡昇平武田泰淳野間宏といった戦後派の作家は「年齢制限」にかかったか、候補にもなっていない。「第三の新人」の作家たちが順番に受賞するようになって、ようやく芥川賞現代文学の動向とシンクロしてくるようだが、二十三歳の石原慎太郎の『太陽の季節』(新潮文庫・540円)が受賞した時、初めて社会現象を引き起こす影響力を持った。
 その後、開高健大江健三郎ら当時二十代の作家を時代の寵児(ちょうじ)に押し上げる役割を担うようになり、また同世代の作家たちを相次いで送り出し、文学の潮流を作り出すことにも成功する。話題性の強かった例を列挙すれば、「戦後生まれ最初の受賞者」の中上健次、「米軍基地周辺の風俗」を描いた村上龍、「画家の副業」の池田満寿夫、「十九と二十歳の美女二人」綿矢りさ金原ひとみ、「日本語を母語としない作家の初受賞」の楊逸などが挙げられる。
 ■特筆すべき4作
 しかし、その裏では多くの「取りこぼし」があり、主な落選者を挙げると、檀一雄高見順中島敦阿川弘之島尾敏雄有吉佐和子倉橋由美子吉村昭津島佑子村上春樹とこれまた大作家の顔見世(かおみせ)になってしまう。
 純文学を取り巻く環境は私が知るここ三十年でも、市場原理に押され、文化諸ジャンルにおける影響力が低下している。かつては多くのニーズがあった文芸批評自体が衰退し、文学者間の論争もほとんど話題にならなくなり、文学が話題に上るのは年に二回、芥川、直木賞の季節だけという事態になりつつある。そうした事情を受け、文学の多様性と市場の話題性が同時に求められる。また、百五十回に至るこれまでの経緯から、優れた作家の先物買いに成功した時、賞の存在価値は最大限に高まり、致命的な「取りこぼし」によって、賞の意義が失われるという原則は生き続けるだろう。それを踏まえ、過去最も特筆すべき受賞作として、安部公房『壁―S・カルマ氏の犯罪』、小島信夫アメリカン・スクール』(新潮文庫・620円)、大江健三郎『飼育』、中上健次『岬』の四つを選んだ。 いずれも戦争、占領、戦後の個人的体験が色濃く刻まれた作者の初期の傑作で、それぞれの時代の空気感が保存されているのはいうまでもないが、この国に生きる者の自我とそれを抑圧する超自我の葛藤が生々しく描かれ、今も古びない。自我の崩壊、アメリカとの主従関係、戦争のトラウマ、家族や故郷の変容……これらのテーマから目をそむけた文学者はしょせん二流なのである。

 ◇しまだ・まさひこ 作家・芥川賞選考委員 61年生まれ。『島田雅彦芥川賞落選作全集』『ニッチを探して』など。
。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。
●私も、大学を出た頃は、現代文学・文学評論にも興味があって、芥川賞直木賞にも関心をもって、そこそこ読んでいた。受賞作にも受賞作家にも、頭を傾げるような場合も少なくなかった。しかし、今日の島田氏の評価には、納得するものがある。いい批評に出会えた。
■主要文学賞 朝日新聞 1月10日夕刊

芥川賞 150回 朝日新聞 1月12日