島崎藤村の自筆書簡

●今日の朝日新聞で、名作『破戒』をロシア語訳した、ナタリヤ・フェリドマン氏に宛てた自筆書簡が、モスクワのロシア国立学芸術文書館で発見されたと報じている。発見者は熊本学園大学の太田丈太郎教授。太田氏は、1920年代前後の日ロ文化交流に関する文献を調査していて、偶然発見されたという。朝日新聞デジタルには、書簡の全文が掲載されている。
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作者より

 露都レエニングラアドにありて露西亜訳の『破戒』を完成せられしフェルドマン氏宛に

私は今、貴君に宛ててこの手紙を送ります。そして私の著書が外国に紹介されるのは、これが二度目であることからこの手紙を書きはじめようと思います。一度は私の『新生』(“The New Life”)が支那語に訳されて、上海で出版された時でした。私は自分の書いたものが支那の訳者徐祖正氏のすくなからぬ骨折によって、隣国の人達に読まれる日の来たことを実にめずらしくうれしく思い、何となく自分の世界が広く明るくなったような心地がしました。今、貴君によってこの『破戒』が露西亜語に移され、露西亜の読者の前に提供されると知った時は、私はまた別の意味で、心に深い歓びを覚えます。
長いこと私達は孤立の位置にありました。極少数の例外を除いては、私達の国にある詩も、小説も、戯曲も、露西亜その他西の欧羅巴に知られる機会はまだ無かったようなものです。言語の性質と、その組織の相異から言っても、私達の文学が外国に紹介されることは、従来望みがたいことのように思われていました。しかし、この孤立は私達に取って、決して好ましいことではありません。こんなに私達が貴国を知ろうと思い、又、西の欧羅巴を知ろうと思いながら、互いの感情を交換する道もないとしたら、どんなものでしょう。私達の考えること、感じることはもっと外国の人達に知られ、私達の文学はもっと無遠慮に批判されていいと思います。その意味から言って、私は貴君の御骨折に感謝しなければなりません。私の親しい友人の一人に中澤臨川(Nakazawa Rinsen)がありました。彼は『トルストイ伝』の著者でした。彼も今は故人ですが、あの友人が生きていたら、私は露西亜訳の『破戒』の出来た話を聞かせて、同君のよろこぶ顔を見たい気がします。
この『破戒』は私の初期の作で、千九百四年からその翌年にかけて書いたものです。千九百四年と言えば、日露戦争の始まった年として、おそらく露西亜の読者にもいろいろな記憶を喚び起すものがあろうと想像します。当時、私は信濃という山地の方にいました。私が『破戒』の稿を起したのは、あの悲酸な大戦争の空気の中でした。
私はこの作がどんな風に貴国の人達の眼に映るかを知りません。日露戦争そのものが最早今日では過去の物語であるように、この作の中に取り入れてある背景も現時の社会と同じではありません。言うまでもなく、この作は千九百四年度の日本の社会にあった特殊な部落民の物語です。この部落民は吾国封建時代の終りを告げると共に解放された筈の人達です。『新しい平民』と呼ばれる人達がそれなのです。しかし、それらの人達は名こそ『新しい平民』ですが、その実、古い、古い部落の民として私達の間に残っていたのです。
これを機会に、私達の国の新しい文学も最早四十余年の歴史をもつことを私は貴君に告げたいと思います。この新しい文学は『言文一致』(語る言葉と書く文章との一致)という文学上の運動から出発したことを心に留めて置いて頂きたい。それ以前は、日常使用する言葉のままで書くことも出来ないほど、吾国の文章は不自由な、型にはまったものでした。この運動が過去の一切の束縛から私達の国の文学を解放したそもそもでした。これは私達の国の新しい文学なりまたその発達なりを理解して頂くに肝要なことの一つであると信じます。猶、いろいろ申し上げて見たいこと、知って頂きたいことは多くありますが、ここには盡せません。末筆ながら私は貴君がこの翻訳に従事せられた月日の間の苦心を思い、深い感謝の意をささげます。

東京にて
島崎藤村
朝日新聞 デジタル】より
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●『破戒』は1906年、自費出版というかたちで発表された。被差別部落出身の小学校教師、瀬川丑松が、身分をかくせ、という父の戒めを破って、自分の素性を生徒に土下座して告白する。背負わされた宿命に苦悩する姿を描いている。
●私は、昭和女子大学の英文科の「文学」の時間に、『破戒』を取り上げた。50人ほどの学生は、全員ではないにしても、真剣に、私の講義を聞いてくれた。私は、この時間に、『罪と罰』『ベートーヴェンの生涯』『赤と黒』『ガルガンチュワ物語』『源氏物語』『蜻蛉日記』『暗夜行路』『風立ちぬ』『様々なる意匠』などを素材にして、文学の魅力を伝えた。懐かしい思い出である。
■発見された藤村の自筆書簡 朝日新聞より

島崎藤村  朝日新聞より