遺書と墓石

●人間も、老齢になると、○○霊園とか、○○寺院とかから、電話がかかってきて、お墓はいかが? と問いかけられる。私のように、本を頼りに生きてきた者には、蔵書の処理が大変である。著書も死後50年は著作権があるので、このあたりは整理しておかないと、遺された家族が迷惑をする。私は、自著も70冊ほどあるので、その処置も含めて、既に処理方法を作成して引出に入れてある。
●私の墓石は、「深澤秋男之墓」というものは建てない事にしている。しいて言えば、平成23年10月、酒田の上日枝神社の境内に建立した「齋藤筑後守記念碑」を密かに、自分の墓石がわりに考えている。私が建てたものではないが、文章は私が書いたので、そのように、仮に考えても許されるかナ、と思っている。如儡子・斎藤親盛の影に、ひっそりと、添えてもらえれば、それで十分である。しかも、浄書者は承春先 先生である。最高の〔墓石?〕である。
●平成25年4月、『芸文稿』第6号に「重友毅先生と私」という一文を掲載した。これを、私は遺書と思っている。これ以上、後世に遺す言葉はない。これが、全てを尽くしている。
●もう、遺書も書いたし、墓石らしいものも、建立したし、あとは、死後の遺骨を海に撒くなり、森の下に埋めるなり、してもらえばよい。もちろん法名など不要である。鈴木翠園も「鈴木重嶺之墓」として法名は不受だった。
■「齋藤筑後守記念碑」

■承春先 謹書

■「重友毅先生と私」