終戦記念日 河北新報 社説

●今日は、8月15日 第二次世界大戦終結した日である。
。。。。。。。。。。。。。。。。。。。
河北新報 社説
社説 終戦記念日/平和を維持する力蓄えよう
 何らの取り組みもなく、長く平和を保つことは難しい。戦争を知る世代が減って風化が進めば、一層の努力が要る。
 きょうは「終戦記念日」。戦後の歩みを振り返り、それぞれがそれぞれの立場で平和の維持を誓う機会である。
 68回目。日を重ねれば毎年、確実に巡っては来るが、よくよくかみしめたいと思う。
 国内外の情勢に目を向ければ安心しきれる状況にはない。
 中国、韓国との対立が長引き首脳会談も中断したまま。双方の国民感情も極度に悪化し、未来志向の内実が問われている。
 北朝鮮を含めた対外環境の変化に伴い、安全保障をめぐる動きが活発化。犠牲の上に得た憲法の改革もちらつき、岐路に立たされているように見える。
 一人一人の幸せも、国の豊かさの確保も平和が礎。その平和が外交、内政の両面からの挑戦にさらされ始めている、と受け止めるべきかもしれない。
 危機感をあおるつもりはない。ただ英知と忍耐が試されているのは間違いあるまい。
 私たちがすべきことは何か。それはまず過去に真摯(しんし)に向き合い、記憶し、継承していくことではないか。
 心の傷をうずかせてしまう側面があることを承知しつつ、戦争世代は封印を解いて、あの頃のことを率直に伝えてほしい。
 「戦争負けて、ええこともあるんやな」。作詞家で作家の故阿久悠さんは自伝的小説の中で、こう記した。敗戦の悲しみ、痛苦を超えて、少年は制約のない暮らしを取り戻したあの日に未来への希望を感じたのだ。
 「空の青さ」が目にしみた年配者も少なくないはずだ。戦時の過酷を極めた日々と終戦の敗北感、開放感。真実の暴露は平和へのともしびとなろう。
 次の世代は知ることに努めてほしい。広島原爆の日の式典で児童は「もっと知りたい」「平和は自らがつくりだすもの」と誓った。本を読むなど記録をたどるもよし、体験者から話を聞ければ、もっといい。
 「伝える、知る」営みは平和の意味を学び、守る力を蓄える。他国との相互理解を深めるための冷静な思考と強い意思を育む基盤になるという意味だ。
 政府は憲法解釈変更による集団的自衛権の行使容認に向け検討を始め、防衛大綱の見直しを進めている。きょう、閣僚が靖国神社に参拝する動きもある。
 厳しさを増す安全保障環境に備えるとしても、尖閣諸島歴史認識をめぐり溝が広がる中韓との関係修復を、なお難しくしないか。同盟国の米国は、不測の事態への発展を懸念。日本に慎重な対応を促している。
 冷えた間柄をぬくもらせるには互恵の積み重ねが欠かせない。毅然(きぜん)としつつ、粘り強い対話を通じた歩み寄りの知恵も必要だ。民間の交流も支えとなる。
 近年、排外的なヘイトスピーチ(憎悪表現)という動きが広がり、品格ある日本のイメージを損ねている。忘却と無知を背景に近視眼的な評価に流されては危うさが増すだけだ。

2013年08月15日木曜日
。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。
●私は、小学校5年生の時に終戦を迎えた。近所の「シン屋」という家にラジオがあって、そこに皆が集って天皇の放送を聞いた。私は後ろの方で聞いていたが、悲しんだ記憶はない。新しい時代に、どう生きてゆくか、そんなことを思った。漢字も仮名遣いも新しい表記を積極的に取り入れた。小5とはそんなものだろうと思う。海軍少尉として戦艦大和の主砲の砲術士をしていて、戦後、大学院で西鶴を研究した市川先生とは、その苦悩は比べものにならない。
●私の兄2人、従兄弟1人、この戦争で戦死した。私は、今、この猛暑の中で、「仮名草子研究の思い出」という小文を執筆しているが、無くなった兄たちの写真を壁に掲げて、平和の時代に生きるとこの幸せに、感謝しながら、筆を進めている。

■昭和20年7月、アメリカのB29が甲府を空襲した。この時、私は、このアメリカの☆のマークをはっきりと見た。