国語国文学科の思い出

昭和女子大学のHPのトップには、今年度から新しく、
グローバルビジネス学部 ビジネスデザイン学科 2013年4月スタート
と新学科の開設を告げており、同時に、
短期大学部 (2012年度入試をもって学生募集を停止しました)
とも告示している。
少子化時代に対応して、短期大学部を閉鎖し、国際化の時代に即応した、新しい学部を開設した。オープンカレッジ・短期大学から大学院まで、と、学生は学習意欲に応じて、1年から8年・10年まで、大学院博士課程まで進むことが出来るように、と整備したが、高学歴志向の時代と共に、短期大学は入学志願者が激減して、ついに閉鎖に至ったわけである。
●私は、この2、3日、「国語国文学科の思い出」という小文を執筆している。短大閉鎖を記念する文集への執筆を依頼されたからである。私は、昭和58年に昭和女子大学に採用され、短期大学部国文科に配属された。22年間、お世話になり、定年退職したが、今、振り返れば、誠に充実した時間であった。
●思い出の1つを記せば、国文科のカリキュラムのことである。当時、昭和女子大学は、人見先生の教育方針で授業は少人数制であった。それだけ、学生数に対して教員の数が多かった訳である。国文科のカリキュラムは極めて専門性の高い内容であった。私の担当する近世文学を例にすると、芭蕉西鶴近松・秋成・仮名草子・近世文学史・近世出版文化史などを担当させてもらった。短大であるが、学部と同様とみてもよいだろう。
●もう1つ、思い出すことがある。私は、自分の発見した、近世後期の女性の日記『井関隆子日記』を国文科の講義・講読で取り上げたいと申請した。教務委員の大塚先生、学科長の原田先生は検討の結果、これを許可して下さった。当時、発見されて間もない作品であり、評価も定まっていない状態だった。私の記憶では、お茶の水女子大学二松学舎大学筑波大学の各大学院で採用されていたのみだったと思う。
●私は、余り多くの学生が履修しないように、テキストは勉誠社の、上中下全3巻を使用した。格安にしてもらったとは言え、定価13500円である。高価なテキストであった。確か、学生は分割で支払ったと記憶している。
●私は、昭和女子大学の学生を通して、この日記を少しでも多くの人々に理解して貰いたかったのである。その後、センター入試、明治大、京都大の入試にも出題され、文学的価値も、それなりに評価されて来ているので、まあ、よかったか、と、今は思っているが、それを許された国文科に対して、心から感謝している。
昭和女子大学のHP より