『芸文稿』第6号 合評会

●昨日は、芸文稿の会の月例会が開催された。4月は、毎年その月に出た号の合評会が行われる。会員のみの集まりゆえ、外部の方々からの反応の紹介などがあり、あとは、頁数が多いとか、写真が綺麗だとか、おざなりの意見が多く、内容的にも、いわゆる、仲間ぼめのものが多い。編集実務を担当している私は、全く各執筆者の書くものに、批評は加えた事が無い。当然、読んではいるが、他人の書くものに、特別の批評も評価も出してはいない。
●しかし、今回の合評会の、田中氏の御意見はみごとであった。御自分のもの以外の各項目に対して、まともに向かい合って、感想を具体的に述べられた。内容的には、やはり、褒めすぎではあったが、田中氏の御努力には敬服した。その一部でも紹介したいほどであるが、それは、できない。
●もう1つ、この号の私の「重友毅先生と私」という雑文に対して、法政大学の同期のNT氏から、長文の「つぶやき」が届いた。NT氏は○○法令という大きな会社の重役を務めたが、若い頃には、『家を出る』という小説を『河北新報』に投稿して、新人賞を受賞してもいる。
●氏は、私の卒論面接の場面を評して、次の如くつぶやいておられる。
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不安が先立つ面接で、重友先生の間をおいた、どこか厳しさを漂わす言葉に、深沢氏は震えていたのではないかと思うと少し可哀想だった気がします。しかし、ここから彼の素晴らしい確かな学者人生がはじまったのです。

重友先生の晩年の様子が詳しく記されていますが深沢氏は悲嘆にくれた文章は綴ってはいません。うまく説明できないが、悲嘆を越えた域に、心はいまもあるのだと思います。
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●有難い「つぶやき」である。感謝、感謝。

■『芸文稿』1号〜6号