日記をつける

●今日の、朝日新聞夕刊の「快体心書」のコーナーで、「日記」を取り上げている。年末になると、新年の手帳や日記が書店に並ぶ。来年こそは、と日記帳を購入して、万年筆も揃えて、1月1日執筆開始。しかし、続かない。新聞の写真も、コーヒーを飲みながら、万年筆は、モンブランのMEISTERSTUCK 146で、2012年12月25日と書いている。字は上手いが、おそらく1年もは続かないだろう。そんな人が多い。

●私は、大学時代から、ずっと、日記も書き、手帳も書いてきた。天理大学の金子先生から〈記録王〉の称号を頂いた。学生時代には、所謂〈日記〉のほかに〈卒論日記〉もつけていた。その日、その日に読んだ本の感想・批評、調査した図書館の状況、進行状況などなど。過日も、「私の卒業論文」と題して、おしゃべりをしたが、大学へ提出した卒論の控は言うまでもなく、指導教授の面接試問のやりとりまで、全て〈卒論日記〉に書いてある。参加者は、御自分の大学時代を思い起こして、私の記録王ブリに、呆れ返っていた。

●現在も、自分の日記のほかに、このブログも書いている。全く苦にはならない。それよりも、この記録が、やがて、自分の記憶をたどる時、大変役立つ。朝日新聞は「書いて出会う別の自分」と言っているが、私は、常に、過去・現在・未来の視点で生きているので、ブレない自分を確認し、責任のある生き方の補助としている。私は、手が大きいので、モンブランの149を多用している。

朝日新聞 12月27日 夕刊