歴史と文学

●6日〜今日まで、風邪でダウンした。まだ、本調子ではない。年を重ねる毎に、回復は遅い。

京都大学の、第三回国際学生シンポジウムで、学生のダイゴ・フルカワ氏が『井関隆子日記』の歴史的側面と日記文学としての側面に関して発表された。単なる歴史史料は文学になり得ないが、文学は、時として歴史史料の欠を補うことがある。

●歴史も文学も、過去の、その時代その時代の人々が、創り出して、後世に伝えた事柄を研究対象とし、その実り多い精神的営みを享受するという意味では、相通じるところがある。

●近代的な国語辞典を最初に編纂した、大槻文彦の名著『大言海』(昭和5年・1930年 序、昭和7年 発行)が、ここで言う「文学」の語の意味に、小説・詩歌などと共に「歴史」を含めているのも、決して誤りではない。ただ、時代と共に、研究が進み、細分化されたという事に過ぎない。
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「・・・(五)〔英語Literatureノ訳語〕人ノ思想、感情ヲ、文章ニヨリテ表現シ、人ノ感情ニ訴フルヲ主トセル美的作品。即チ、詩歌、小説、戯曲、又、文学批評、歴史ナドノ類ナリ。・・・」
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●その時代、その時代に発生した、歴史的現象を後世へ伝えたものとして、様々な記録や出土した「物」などがある。これらに資料批判を加え、その歴史的現象の背後にある真相に迫る、それが歴史学だろう。また、その歴史的現象を自分の目で見たり、諸情報を通して観察した一人の作者の創作物がある。それらの歌や物語・小説や、日記・随筆などの分析を通して、その現象の背後の真相に迫る、それが文学だと思う。

大槻文彦の名著『大言海』の「文学」の項。