『源氏物語』の現代語訳

●今日は、久し振りに、研究会で東京に出た。発表は、田中宏氏の「『源氏物語』現代語訳の問題点」であった。近代に入って、『源語』の研究も盛んになったが、一般には現代語訳が大いに広まった。その中で、与謝野晶子の訳は、最も早い時期の仕事であり、しかも名訳である。現在も読まれている、永遠のベストセラーであろう。その後、谷崎、円地、瀬戸内、玉上、などの訳出が続き、最近は、林望のものも出て、書店を賑わせている。

●田中氏は、まず、北村季吟の『湖月抄』を徹底的に読み込み、その基礎の上に立って、諸訳を比較検討して、その特色、優劣に言及された。近世の古典の注釈で古注というのは、とかく問題点もあるが、これを通過しなければ始まらぬ、と、そのように私は思っている。これがあって、初めて新注も出てきたのだし、近世初期の古典注釈は、誠に真摯、誠に詳細、これは、一人『源語』に限った事ではない。早く、野村貴次氏の労作『北村季吟の人と仕事』があったが、そのような古注の成果の上に本居宣長の研究も出現したのであろう。大啓蒙期の近世初期は実に魅力的な時代である。

●現代語訳でも、与謝野源氏と谷崎源氏で、いずれが優れているか。与謝野源氏は草分け的存在であり、谷崎源氏は、『源氏物語』研究が大いに進んだ後の、仕事であるし、小説の大家の労作であるので、当然、谷崎に軍配は上がってしかるべきである。さて、両者は現在、どのように評価されているのだろうか。

●私は、大学1年の時、『源氏物語』を、池田亀鑑校注の朝日古典全書で読破した。原典を読む前に、現代語訳を読んで粗筋を頭に入れた。まず、谷崎源氏を全巻買って読んでみた。どうも、すんなり入ってこない。折角買った本だから、当分は、それで進めた。しかし、途中で、与謝野源氏も求めて読んでみた。スーッと入ってきた。以後、谷崎は捨てた。これは、何故か。今日の田中氏は、その原因を具体的に分析して、教えてくれた。文学とは、そのようなものである。

■『源氏物語 湖月鈔』「幻の巻」 北村季吟古註釈集成14
  昭和53年4月10日、新典社発行