本を読む

●本を読む、と言っても、様々なスタイルがある。速読、遅読などあるだろう。精読、濫読、乱読などもある。中には、飛ばし読み、斜め読みなどあって、それを売り物にしている御仁さえ出ている。私は千冊読んだ、などと触れ込んでいる御仁もいる。読むには読んだが、初めと真ん中と終りの、ごく一部分を読んで、それで、1冊が解ったような気になって、「読んだ」部に入れたりする御仁かも知れない。どう言おうと、それは、その人の勝ってで、宜しいが、そんな人に、その本の事を少し突っ込んで質問すれば、読んだという程度は判明する。

●私は、本を読むのが遅い。志賀直哉の小説でさえ、行きつ戻りつ、遅々として進まなかった。『源氏物語』など、1頁に3時間も費やしたこともあった。

●私は、今から34年前、全く無名の江戸時代の女性の日記を出した。全3冊完結したら、御子孫の方が、お礼にとウン十万円を下さった。この金で美味しいものを食べては済まないと、全額『日記』を購入して、目ぼしい評論家や学者や歴史作家に贈呈した。是非、読んでみて下さい、ということである。が、しかし、結果はナシの礫であり、その後、ウンともスンとも発言は無かった。評価の決っていない本など、読むのはシンドイのである。ヘタをすれば、自分の批評眼が試されてしまうのである。

●しかし、本は、著者が精魂こめて書き上げたものもあるから、真面目な本ならば、真面目に読めば、それだけの実りがある。私は、速読よりも精読をお勧めしたい。

■『井関隆子日記』昭和53年発行