一番名主の鹿島則文

鹿島神宮第67代宮司鹿島則文は、勤皇思想に関与したとして、幕府に逮捕された。慶応元年(1865)伝馬町の牢に入れられた。同じ牢内に、幕末の大盗賊・青木弥太郎がいて、則文は、弥太郎に推されて一番名主の畳の上に座る。八丈島へ流刑となるまで、この伝馬町の揚屋で過ごしたが、ここでの生活の一端を、篠田鉱造が記していた。

篠田鉱造は、『報知新聞』の記者で、故老の聞き書き『幕末百話』の著書がある。篠田の『明治開花綺談』(昭和22年6月15日、須藤書店発行)の中に、鹿島則文の長男・則泰からの聞き書き鹿島則文翁と弥太郎」が収録されている。ここには、伝馬町の牢内における鹿島則文の様子が語られていて、若い頃の則文を知ることが出来る。

●青木弥太郎は、牢内を取り仕切り、入牢してきた則文を尊敬し、一番名主にして、自分は二番名主となって、則文の面倒をみていたようである。則文は弥太郎に詩文の作法などを教えて、返礼としていたようである。「取寄せるツルの御馳走」のエピソードは面白い。

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■『明治開花綺談』