悲しい帰郷

●昨日は、また、下部温泉へ行った。朝、スーパーあずさ1号。新宿発7:00。甲府下部温泉着9:25。下車して駅前のタクシーへ行こうとしていたら、深沢ッ、と声をかけられた。同級生の西海君だ。どこへ行くのか、と言うので、セレモニーホール、と告げると、そこまで送ってくれた。郷里へ帰るとこんな事になる。

●姉の子の葬儀がしめやかに行われた。66歳、何と早すぎることか。読経の続く間、涙がにじんで仕方がなかった。告別式では、久し振りに出会う方々が多い。アキオさん、私が誰かわかる? と訊かれる。お名前をうかがって、ようやく、はるか彼方の思い出がよみがえる。昼食を頂きながら、往時に話題が及び、お世話になったことが、多いなあー、と、また、感謝。84歳の親戚の姉さんに、たまには、お父さん、お母さんのお墓にもお参りに来なさいヨ、と言われて、お詫びした。

●書家の望月翠山先生とも、隣席で語り合った。どうして、あのように易しく百人一首の注釈が書かれたのか、と質問された。やはり、過日、差し上げた『如儡子百人一首注釈の研究』を読んでいて下さった。近世初期は、戦乱の後で、みんな字が読めなかったのです。明治維新と同じような啓蒙時代だったんです、とお答えすると、そうか、わかった、わかった、と申された。甲骨文の研究者翠山先生とは、話が通じる。

●帰りの車中、姪との思い出を回想しながら、一人で、寂しく帰宅した。東京は小雨であった。

■今回も、ジパング特急券が、何故か1枚残った。