天正11年の尾浦城のクーデター

●私は今、天正11年(1583)、山形県、酒田・鶴岡間にあったという、尾浦城で繰り広げられたとされる、主君暗殺の事件を追跡している。今から430年も前の、歴史上の事実の確定のむつかしさを痛感している毎日である。

如儡子の父、斎藤広盛は、この時、16歳と推定している。斎藤家の記録によれば、その広盛が、前森筑前守と東禅寺右馬頭と計画して、横暴な主君・武藤義氏に自刃させて、その弟・義興を主君に擁立したという。義興は幼少ゆえ、前森筑前守と東禅寺右馬頭が政治を取り仕切ったという。その後、天正16年に、十五里ケ原の合戦が発生した。兄の前森筑前守は戦死し、弟の東禅寺右馬頭は、贋首をぶら下げて敵陣深く突入し、壮絶な最期を遂げた。

●この2つの戦に参加した斎藤広盛は、奇跡的にも生き残り、やがて、酒田の川北奉行となって、元和8年(1622)まで活躍したのである。それにしても、この、殺伐とした戦国の世を、如儡子の父は、どのようにして生き抜いたのであろうか。如儡子・斎藤親盛の研究を完了させるためには、どうしても、この歴史的事実を究明し、その真相に迫る必要がある。

■内閣文庫『庄内物語』所収の 酒田・鶴岡の地図

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