今や 新規な仕事はない。

●私は、今、横山重先生の思い出を随想風に執筆中である。先生の犬山時代から伊東時代まで、実に多くの事を教えて頂いた。昭和44年(1969)1月14日、犬山市本町65からの封書には、次のように書いて下さった。

「今や 新規な仕事はない。誰が誠実な仕事をしたかといふ事だけが、眼目になってゐるでせう。
これが、最初で、これが終局と思ふ。貴兄の 第一歩を 期待します。
                      一月十四日   横山 重」

●私は、昭和43年5月、初めて、犬山の横山先生のお宅へお伺いし、午後1時頃から、夕方まで、おそらく5時間近く、初対面の先生に、様々な御指導を賜った。もちろん、その前に、何度かは、お手紙での遣り取りはあった。そのような前提はあったが、初対面の私に、これだけの時間を割いて、先生の経験と研鑽の成果を惜しみなく、お与え下さった。その次の正月に、〔誠実な仕事をせよ〕と仰せになられたのである。

●夕方、先生宅を辞したが、外は雨。先生は、これを使いなさい、と黒いコウモリガサを貸して下さった。その夜は、名鉄グランドホテルに泊まって、次の日、京都大学佐竹昭広先生の研究室をお訪ねした。佐竹先生にも、貴重な御指導を賜った。

●帰宅後、横山先生から、お借りした傘を見たら、柄に「赤木文庫」と彫ってある。是非、記念に頂きたい、と、お願いしたら、「私の洋傘 御所望との御事。よろこんでさし上げます。代品の事など考へ下さるに及びません。」と申されて、この洋傘は、私の宝物となり、40年後の現在も、原稿執筆デスクの左側で、〔誠実な仕事をせよ〕と、私を見守っていて下さる。感謝。

■「赤木文庫」の由来。


■「赤木文庫」の洋傘
 良く見えるように、私がホワイトを入れた。